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ブリューゲルは生涯を通じて版画のための下絵を描き続けたが、後半生は油絵の制作が主体になった。その転換期ともいえる時期は、1559年と考えられる。その年ブリューゲルは「ネーデルラントの諺」、「謝肉祭と四旬節の争い」を描いているが、この二つは民衆の生活と、彼らの精神世界の風景を描いている点で、今日我々がブリューゲル的といっているところの特徴をいかんなく発揮したものだ。

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ブリューゲルは「七つの大罪シリーズ」の後で、「七つの徳目シリーズ」を手掛けた。このシリーズもやはり、ヒエロニムス・コックの依頼を受けたものだった。コックはこのシリーズのために、大罪シリーズの彫師ピーテル・ヴァン・デル・ヘイデンよりも腕がいいフィリップス・ハレを起用した。

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ブリューゲルの版画「誰もが」は、「七つの大罪シリーズ」と同じころに制作された。当時七つの大罪をはじめとした愚かな罪は、農民たちの専売特許のように受け取られていたが、そうではなく、誰もが陥るありふれたことなのだ、ブリューゲルはそう訴えたかったのだといわれている。

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画面中央の巨木のうろの中では、怪物の愛撫を受ける裸の女性があり、怪物の背もたれには雄鶏が止まっている。雄鶏は邪淫の象徴とされる動物だ。

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中央の女性が丸テーブルを前にビールをがぶ飲みしている。彼女が椅子代わりにしているのは豚で、大食のシンボルだ。彼女の仲間の女性たちも、怪物たちにそそのかされて暴飲暴食をしている。

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中央の女性が右手に持っているのは心臓、これは嫉妬を表すしぐさだ、女性の前には二匹の犬が1本の骨を奪い合っている、ひとつしかないものを互いに争うという意味だ、ブリューゲルは油彩画「ネーデルラントの諺」のなかでも黒白二匹の犬が骨を奪い合うところを描いている。

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中央にはロバにもたれて居眠りをする女性が描かれている。ロバは怠惰の象徴である、その女性に、怪物が枕を差し出している、枕もまた怠惰のシンボルだ、背後の小屋の中でうつらうつらしている裸の女性にも、怪物が枕を差し出している。

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版画の下にある銘文には、ラテン語で「激怒は顔を腫れあがらせ、血管は血でどす黒くなる」と書かれている。激怒という感情の強烈な側面を強調しているのだろう。

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傲慢は一般的には罪源の中でも最も憎むべきものとみなされてきた。というのも、この心を持つ者は謙虚さを失い、神をも恐れず、不遜になるからだ。傲慢な人間はしたがって、地獄に落ちる運命にある。

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ブリューゲルの版画制作活動を締めくくるのは、七つの大罪シリーズと七つの徳目シリーズと題した二つのシリーズものである。キリスト教徒にとっての、プラスとマイナスの倫理的な課題を現しており、古来宗教画と並んで、画題として取り上げられることの多かったテーマだ。ブリューゲルは、版画商のコックに依頼されて、この二つのシリーズを取り上げたのだと思われる。

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最後の審判は、中世のヨーロッパ人にとっては、もっとも関心のある主題だったに違いない。この世の終わりに際して、自分にどのような審判が割り当てられるかは、なににもまして切実な、魂の可能性の問題だったからだ。

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「冥府へ下るキリスト」は「ニコデモによる福音書」の中で取り上げられている物語で、キリストが冥府へと下り、アダム以下キリスト以前に生きていた人々を救済するという内容のものだ、中世には魂の救済の話として人気があったらしい。

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「忍耐」と題したこの作品は、一種の寓意画である。ブリューゲルは七つの大罪シリーズと七つの徳シリーズの中で寓意画の世界を展開しているが、これはその先駆けとなる作品だ。

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「学校のロバ」と題するこの作品は、「大きい魚は小さい魚を食う」とほぼ同時期に描かれたが、わざわざ「創案者・ブリューゲル」と明記しているところを見ると、ブリューゲルの特別な思い入れがあったとも考えられる。実際この絵の中で描かれている人間たちは、ボスの絵のように悪意に満ちた表情ではなく、どこか憎めないユーモラスな表情をしている点で、後年のブリューゲル独自の世界を思わせる。

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「大きな魚は小さな魚を食う」と題したこの絵は、ブリューゲルのボス風の作品第二作で、1556年に下絵が書かれた。コックは翌年それを版画にする際、画面の左下に「創案者・ヒエロニムス・ボス」という銘を入れた。前作よりさらに一歩踏み込んで、ボスの名声にあやかろうとしたのだろう。

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1556年の年末に、ブリューゲルはボスの作風を思わせるような、新たな作風で描き始めた。「聖アントニウスの誘惑」と題した絵がそれである。

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エマオの物語は、ルカ福音書にあるキリスト復活をめぐる物語だ。エルサレムからエマオに向かう二人の旅人に、復活したキリストが道連れに加わる、三人はエマオで泊まることとし、食卓でキリストがパンを裂いてほかの二人に与えると、二人の目は輝き、目の前にいるのが復活したキリストだとさとるのであるが、その瞬間にキリストの姿が消えるというものだ。

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この絵の構図は、油彩画「雪中の狩人」とよく似ている。前景に丘が描かれ、そこには一仕事終えて麓の村に帰っていく人々がある。麓には広々とした空間が広がり、その先には切り立った山々がそびえる。アルプスの自然とネーデルラントの田園風景を組み合わせた、もっともブリューゲルらしい構図だ。

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ネーデルラントの四輪馬車という題名からして、この絵がネーデルラントを描いていることは明らかだ。だがそれにしては不自然なところがある。ネーデルラントは一面が低地帯で、この絵の背景を占めるような山など、どこにもないからだ。

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ブリューゲルの版画「大風景画」シリーズには、宗教的な題材のものが3作品ある。この作品「荒野の聖ヒエロニムス」はそのうちのひとつ、1555年ころのものだ。

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