東日本大震災


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AFP通信が伝えるところによれば、ロシアのドミトリー・メドベージェフ(Дмитрий Медведев)大統領は、東日本大震災の被災者について、シベリアやロシア極東地方で受け入れ、再就職をあっせんする用意があると表明したそうだ。

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写真は巨大津波に飲みこまれた宮城県南三陸町の様子。海岸にそって展開する町並みは原型を全くとどめないほど完全に破壊された。一方手前の高台にある県立志津川高校は、周囲から孤立して、校庭にSOSの文字を描いて救出を待っている。

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上の写真(ロイター提供)は、スーパーマーケットの売り場に殺到する中国甘粛省蘭州の市民たち。彼らが争って買い求めようとしているのは、ヨード入り食塩だ。

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東電原発事故の初動対応のまずさの要因として、原発施設の温存にこだわって適切な対応を拒絶した東電の経営意思と、それを漫然と許した菅政権の無責任ぶりが、クローズアップされている。

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東日本大震災に見舞われた東北地方では、大勢の家族が離れ離れになってしまった。避難が間に合わず、津波に飲みこまれた人が多かったからだとみられる。

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東日本を襲った前例のない巨大な複合災害・東日本大震災、それはマグニチュード9.0という日本の地震史上未曽有の激震で始まり、高さ15メートルにも達する巨大津波が押し寄せ、それらの自然災害が福島原子力の発電所を破壊して、日本人のみならず世界中の人々を放射能の恐怖に陥れた。

東電の計画停電が始まってから5日目にあたる昨夜(3月18日)は、筆者の住む地区でも、夜間に停電することとなった。併せて筆者の通勤の足である東武野田線が、午後8時頃まで動かないという。夜間の停電と交通ストップが重なるのは、筆者にとっては震災発生後初めての事態だ。

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東電福島原発事故は、対応が後手後手にまわって、事態を深刻にさせていることから、これは政府・東電による人災だという非難が巻き起っている。

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福島原発の大事故の煽りで電力不足に陥った東電は3月14日(月)から計画停電を始めた。その結果日常生活に影響をこうむるのは無論、交通機関もマヒして、サラリーマン諸君はしんどい思いを余儀なくされている。

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想像を超える被害をもたらした東日本大震災、自衛隊を中心にした政府関係機関の救援隊のほか、アメリカなど海外の援助組織を含めた膨大な数の人々が現地に入って、懸命な救助活動を続けている。その甲斐があって、一昨日には70歳台の男女が92時間ぶりに救出され、そのしばらく後には20台の男性が96時間ぶりに救出された。

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3月11日の地震発生以来一週間近くがたった。この間福島原発の大事故が重なり、政府はそちらの対応に追われて、肝心の被災者の救援活動が滞っているのではないかとの憶測と、怒りの声が聞かれるようになった。「政府無策の六日間」と題する読売の記事は、そうした声を代弁するものだ。以下、記録の意味で引用しておきたい。

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福島原発の事故で放射性物質が漏れ出したとのニュースが伝えられ、大勢の日本人がわが身に振りかかった恐怖として深刻に受け止めた。ところが数字が一人歩きしているようで、どういう条件のもとで、どういう被害が生じるのか、必ずしも正確に伝えられているとはいえない。

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福島の原発事故は、原子力発電の安全性への疑問を、改めて世界中に突きつけた。ドイツのメルケル首相はいち早く、自ら決定していた国内原発施設の稼動延長措置を停止することを決めた。

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どうしてこうなるのか?福島の第一原発で起きている事態を、固唾を呑んで見守っていた大勢の日本人は、みなこう思ったに違いない。

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地震発生からまる3日以上たった東日本大震災、被災現場では自衛隊をはじめとした救援組織が生存者の救出と死者の遺体回収に懸命に取り組んでいるが、困難を極めているようだ。

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今回の東日本大地震は、想像を絶する巨大な被害をもたらしたことで、国際援助を含めて、各国からの熱い視線を集めたが、なかでも最も大きな関心を集めたのは、福島原子力発電所における、第一号原子炉の建屋爆発、及びそれに続く炉心溶融の事態だった。

東日本大震災

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3月11日に東日本を襲撃した巨大地震は、当初、東北大地震などと呼ばれていたが、その範囲の大きさと被災規模の巨大さから、東日本大震災などと呼びかえられている。

3月11日に起きた東日本大地震に、筆者は横浜で遭遇した。

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