旅とグルメ


 十一月十三日(火)晴。早朝起床し午前五時頃迎へのバスに乗る。同乗の者の殆どは新顔なり。ガイドもまた別人なり。このツアーは客とスタッフの組み合はせを柔軟にすることにより、時間及びコースを合理的に配分しをるやうなり。

夕刻コリアハウスに至る。もと政府の迎賓館たりし施設にして、いまはソウル市当局直営による伝統料理および伝統芸能振興のための施設なり。ここにて韓国の宮廷料理を堪能し、伝統芸能を観賞せんとするなり。

十二月十二日(月)晴。ホテルを七時半に辞すること昨日の如し。昨日とは異なる朝食屋に入りてあはびの粥を食ひて後、ソウル中心部の繁華街に位置するロッテ免税店に案内せらる。店内フロア一面にブランド品のショップ立ち並びたれど、余はあへて買ふべきものあらざれば、休憩コーナーに坐して茶を飲みたり。

夕食後韓国式エステなるものを体験す。ビルの地階に入浴施設あり、そこにて全身の垢すりとマッサージを楽しむといふものなり。

午後二時頃東九陵(トングルン)に至る。朝鮮王朝九代の王ならびに王妃の陵墓群なり。ソウルの東郊に位置することから東九陵と名付けらる。明の陵墓を下敷きにしたるものと思はるるなれど、明に比すれば規模はるかに小なり。

 十二月十一日(日)晴。七時起床、七時半大型バスに乗り込む。乗客はヴィクトリアホテルから乗り込みたる二組のほか、ロッテホテルから乗り込みたるもの数組、あわせて十七-八名なり。

横、今の二子とは一昨年に上海、昨年には北京に旅を共にせり。今年は杭州など江南を旅せんと誘ひしが、長期の休暇とりがたしとて実現せず、余単身にして旅行せり。その後年も押し迫る頃になりて彼ら短期の休暇ならば取得すべしと申し越せしかば、ともにソウルに旅せんと欲す。

今回の中国江南地方ツアー旅行の現地ガイドを勤めた康康はなかなかユニークな若者だった。日本人の若者には見られない、達観したような楽天性を感じさせ、それが老人主体の同行の旅行者たちの気持ちを慰め、旅行を一段と楽しいものにしてくれた。ここでは多少の感謝の意を込めて、彼のことを紹介しておきたいと思う。

 十一月十六日(水)晴。早朝五時前に起床して六時前にホテルを辞し七時頃には浦東空港に到着す。ここにて搭乗手続きをなし、康康と別れを告ぐ。彼引き続いて別口の仕事待ちをる由なり。

午後上海博物館を訪ふ。まづ四階に上り、階段を順次下る。四階にては少数民族衣装館を見、三階にては中国歴代絵画館を見、二階にては中国古代陶磁館を見、一階にては中国古代青銅館を見る。

 十一月十五日(火)晴。この日は終日上海市内観光をなす。まづ手始めに浦東地区を訪れ環球センター通称森ビルの展望台に上る。このビルはいまだに上海一高いビルの由。その傍らに新しいビル建築中にて、これが二千十五年に完成の暁には上海一の高さになるはずといふ。中国人は国家の威信にかけてもこのビルの完成を望みをる由。

上海雑技は前回の上海旅行の折に見物したれど今回は別の劇場を案内すといはれ再見することとなす。劇場の名は上海馬戯場または雑技センターといひて上海に存在する雑技劇場の中では最大のものなり。

西塘は上海の西方約九十キロのところにあり。元代に形成せられたる水郷の古鎮にて、ほかの水郷の古鎮に比すればいまだ観光地化進まず、明清時代の佇まひを色濃く残しをるなり。数年前に公開せられしアメリカ映画「ミッション・インポシブル(トム・クルーズ主演)」の舞台となり、NHKも特別番組にて紹介したれば、日本人観光客の人気をとるやうになれり。

 十一月十四日(月)晴。七時半に起床して朝餉には粥を食ふ。昨日まではパンを食ひゐたるなり。主食を粥にすれば副食もまたおのづと変はるなり。

杭州の夜の催しの最たるものは越劇と雑技といふ。余らは康康に勧められ雑技を見ることとす。雑技といひても上海雑技の如くアクロバット演技一点張りにてはあらず、物語形式をとりて歌舞を交ゆ、されば身体演技式歌舞演劇ともいふべし。

午後三時頃、銭塘江を渡り杭州市街に入る。車渋滞して道路混雑甚だし。一時間ほどして河坊街に至る。

紹興といへばいふまでもなく紹興酒の産地なり。土地の人は単に老酒或は黄酒と呼びをる由。中国の数ある酒の中にも最も歴史ある酒のひとつなり。

 十一月十三日(日)晴。起床して窓外を見下ろすにホテルは運河に面してあり。食後九時頃にホテルを辞し十時頃紹興市内魯迅古里に至る。バスより下りたるところ、眼前に指のない手を差し出さる。乞食が銭を乞ふなり。余不意を突かれて思はず大声を発す。乞食余の怒りに恐れをなして逃げ去りぬ。

今回の旅を筆者は単身ツアーに加はるかたちで始めたるなれど、時間の経つとともになにかと気の合ふ人と会話をなすやうにもなりぬ。今宵はかかる人々と暫時飲み交はさんと、余を含めて四人わが部屋に集まれり。

午後三時頃杭州市街に入る。余にとって杭州の名はかの蘇軾の名と結びつきをるなり。蘇軾は生涯に二度杭州に赴任し、杭州通判即ち知事としては蘇堤を整備するなど町の発展に尽力す。その恩恵を杭州市民はいまだ忘れずといふ。その蘇軾が副知事時代に杭州を読みし詩を筆者はときにそらんずるなり。

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