旅とグルメ


十一月十二日(土)晴。七時に起床して窓より外を見れば周辺は高層建築物の建設ラッシュなり。中国は無錫の如き都市も近代化の恩恵に与りをるやうなり。建築現場の柵には創建文明城市、构建和諧錫城の文字墨書せられてあり。

食後、和子足浴富安那なるところに案内せらる。看板に足浴休閑保健按摩と記せり。即ち温泉つきマッサージなり。

午後は無錫観光をなす。無錫は蘇州同様長江の下流域に開けた水郷都市にて、太湖より別れた水路が街を囲むなり。

 平成二十三年十一月十一日(金)晴。九時に酒店を辞して街に出れば道路夥しき車両の占拠するところなり。自転車また多し。歩行者は信号なき所を横断す。道路に信号を設置すること希少なればなり。

晩餐後山塘街の夜景を見物せんと胥門より船に乗りて山塘運河を行く。山塘運河は蘇州城と虎丘を結ぶ水路にて白居易が蘇州知事の時に開削せしめたるものなり。全長四キロ、そのうち旧市街沿には古民家再現せられて水の都蘇州と呼ばれし往時の繁栄を忍ばしむるなり。

午後一時頃蘇州平江路に至る。蘇州旧市街のほぼ中央に位置する街路にて、運河を挿んで明清時代に建てられたる家屋連なりてあり。水郷の古鎮の多くとは異なり、これは大都市の中心に位置するなれば、保存状態格段によし。

 十一月十日(木)陰。七時に起床して一階の食堂にて朝餉をなし八時半酒店を辞す。この日は水郷の古鎮錦渓を経て蘇州へ至らんとすなり。

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余四十年に及ぶ宮仕に終止符を打ち退隠生活に入るに当たりいづくかに旅せんと、ネット上に集団旅行の案内記事を探しをるほどに、中国江南地方への格安旅行を見出しぬ。上海、蘇州、無錫、杭州、紹興の各都市を八日間かけて巡り歩くといふものにて、期間中の食卓料と現地案内人の費用を含めて、一人当たり料金僅に四万五千円なり。

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先日豊穣たる熟女たちと新橋で飲んだ帰りにガード下を覗いて歩いたことがあったが、その際に、次回は是非こんなところで飲んでみたいわと熟女たちが口を揃えていった。そこで9月の22日に設定したのだったが、その日は例の台風騒ぎの翌日で、彼女たちは疲労困憊の様子だった故、とりあえず延期することにしたのだった。そんなこんなで、秋の気配が深まる頃になってやっと、4人で新橋のガード下を、よさそうな店を探して覗き歩くことになった。

先日伊豆修善寺の温泉につかった湯仲間たちと、新宿二丁目の鱧料理屋で鱧のフルコースを食った。どういうわけか、湯の中で鱧のことが話題に上り、鱧には目がないという山子が是非食わせる店に連れて行けと言い出したのだった。その店は新宿二丁目の一角にある花膳という鱧専門の料理屋で、筆者がつい最近までいたオフィスとは目と鼻の先にある。

先日テレビを見ていたら、日本とフランスとの食事マナーの違いについて、興味深いレポートがあった。フランス人はコース料理が基本で、複数の料理を順番に食べていくのに対して、日本人は弁当方式で一括して配膳したうえ、複数の料理を平行して食べるということの考察だった。

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山、落、松の諸氏と伊豆修善寺温泉に遊んだ。山子が細君を伴ったので、車二台のドライブになった。足柄インターで合流し、沼津の漁港で昼餉を食い、二時過ぎに修善寺に到着した。到着後、修善寺を訪れ、独鈷の湯の辺りと竹林を散策し、三時頃に新井旅館という宿に投じた。

先日美濃・尾張に旅行したあひるの仲間たち六羽が西新宿エルタワーの三間堂という京料理屋に集合して、暑気払いの小宴を催した。席上筆者は、旅行中に撮影しCDに焼き付けた写真を皆に配った。その中の何枚かは先日このブログでもアップしたところだ。

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小笠原諸島がユネスコの世界自然遺産に登録された。周囲の陸地から離れて、孤立した世界を形成し、独自の動植物が進化していることが評価された形だ。これで、白神山地、屋久島、知床に続いて、日本で4か所目の世界自然遺産となる。

このたびのあひるたちとの旅行では、筆者はちょっとした災難に見舞われた。筆者の詩集「緋色の愛」を静ちゃんあひるがとりあげ、「あれは一体どういうことなの?」と追求したのだ。それも最初の晩、二日目の晩、そして帰りの新幹線の車内でと、連日やむことなしという調子なのだった。

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明治村がオープンした昭和40年頃には、展示建物は10数点に過ぎなかった。それから40年を経た現在では60数点に増え、中には国の重要文化財に指定されているものもある。明治時代の建築様式を保存する場として、確固とした空間に成長したわけだ。

有楽苑と如庵

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犬山には犬山城のほかにもうひとつ国宝がある。織田有楽斎の茶室「如庵」だ。もっともこれは犬山城とは違って、犬山本来の財産ではなく、外部から持ち込まれたものだ。

犬山城に登る

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郡上八幡に旅した翌日(六月十九日)、筆者らは犬山城に登った。朝早く旅館を辞し、昨日とは逆戻りして美濃大田に至り、鵜沼を経由して十一時頃名鉄犬山遊園駅についた。城はそこから歩いて十分ばかりの距離にあり、その途中に投宿先の名鉄ホテルがあった。

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雨の郡上八幡を歩いていたら、うだつのある古い町並みの一角に小さな美術館を見つけた。遊童館と書いた看板がかかっている。ちらっとのぞいてみると、紙人形やら可愛い子どもたちを描いたメルヘンタッチの絵などが、台上やら壁際に沢山見えた。筆者はすっかり嬉しくなってしまい、他のあひるたちを誘って中に入った。

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郡上八幡を特徴付けて「うだつの上がる街」ということもできる。古い民家が連なる街区はもとより、町中いたるところにうだつをせり出した家を見かける。いまでは、日本でうだつを見るところは少なくなったので、郡上八幡のうだつのある街並は貴重な光景といえる。

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