オダマキ(苧環):花の水彩画
オダマキ(苧環):水彩で描く折々の花
日本に自生するミヤマオダマキは、高山性の山野草である。初夏から夏にかけて、関東地方以北の山に登ると、薄紫色の花弁を下に向けた姿勢で、可憐に咲いているのをあちこちで目にする。
オダマキ(苧環):水彩で描く折々の花
日本に自生するミヤマオダマキは、高山性の山野草である。初夏から夏にかけて、関東地方以北の山に登ると、薄紫色の花弁を下に向けた姿勢で、可憐に咲いているのをあちこちで目にする。
オステオスペルマム:水彩で描く折々の花
オステオスペルマムは別名をアフリカンデージーというように、南アフリカ原産の、キク科の多年草である。オステオスペルマムという名前自体は、osteo (骨)と spermum(精子)を組み合わせたものだが、この花のどこがそんなイメージを呼び起こすのか、筆者にはわからない。
ガクアジサイ(額紫陽花):水彩で描く折々の花
アジサイはもともと日本の太平洋岸に自生していたガクアジサイを原種とする。これが中国を経由して西洋に伝わり、今日普通に見るあの丸い形のアジサイになった。だから美しくなって里帰りをした花なのである。
ナツツバキ(別名・沙羅の木):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
ナツツバキ(夏椿)は、その名のとおり、夏(梅雨時)に椿に似た白い花を咲かせる。分類上もツバキ科に属するが、ヤブツバキや山茶花などとは違って、落葉する。葉は光沢を持たず、しかもやわらかいので、一見するとツバキとは違う種のようにも見える。
ギボウシ(擬宝珠):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
ギボウシ(擬宝珠)はユリ科の多年草である。東アジア原産で、日本でも山間の湿地帯に自生している。江戸時代に園芸品種として改良され、一般の家の庭でも育てられるようになった。これをシーボルトがオランダに持ち帰り、それをきっかけに欧米でも普及した。英語では Plantain Lily と呼んでいる。
八代草(やつしろそう):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
今年(2008年)の夏に会津の大内宿を訪ねた折に、濃い青紫色に咲いた花を見かけて、しばらくその場に立ち止まり、花の風情を見入り続けたことがあった。花の足元には短冊がさしてあり、それには「八代草:リンドウ科」と記してある。
ペチュニア:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
ペチュニアは日本人には人気のある花だ。花びらの一つ一つは小ぶりだが、色が鮮やかで、密集して咲く性質を持っているので、花壇に植えても、プランターや鉢に植えても、目に映えて美しい。しかも花季は非常に長く、手入れさえ怠らなければ、初夏から秋まで咲き続ける。
トレニア:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
トレニアは和名をハナウリクサあるいはナツスミレという。沖縄に自生しているツルウリクサの仲間であるが、ツルウリクサのほうは絶滅の危機に瀕しているという。
ヒツジグサ(未草):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
ヒツジグサは日本の山野の沼沢に自生する睡蓮の野生種である。その分布は日本のほぼ全土に渉るという。6月頃から11月頃まで長い間裂き続ける。一般に睡蓮と呼ばれているものが、夏の暑いさなかにしか咲かないのにくらべると、これは花季が非常に長い。
サンパラソル:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
サンパラソルという名のこの変わった花は、キョウチクトウの仲間に属するマンデビラの一種なのだそうだ。日本の種苗会社が開発したという。マンデビラ Mandevilla とはつる性の植物で、メキシコ以南の中年米に自生している。日本ではチリソケイ属に分類されているが、あまり馴染みがないためもあって、もっぱらマンデビラの名が流通している。
芙蓉:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
芙蓉は葵の仲間で、タチアオイやムクゲとよく似た花を咲かせる。ハイビスカスも同属である。草本性のものと木立するものとがあるが、木立するものはモクフヨウと呼ぶ場合もある。
アマリリス:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
アマリリスは、5月から6月にかけて、まっすぐに延びた茎の先に、ユリに似たラッパ状の花を二つないし四つ咲かせる。名前からしてあでやかさを感じさせる。ヴェルギリウスの詩に出てくる乙女の名前からつけられたのだそうだ。花言葉には、誇り、内気などがあてられるが、それは乙女の気質を表わしていたのだろうか。
ホトトギス(杜鵑草):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
ホトトギス(杜鵑草)は日本の山野ではよく見られる花だ。山道を歩いていると、雑草の茂みの一角に細長く伸びた茎の先に、ラッパ上の花を上向きに咲かせている姿をよく見かける。
リンドウ(竜胆):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
リンドウといえば、筆者の若い頃に、島倉千代子がこの花を歌ったことを覚えている。「リンリン リンドウは濃紫」と歌詞にあるとおり、日本のリンドウは濃い紫色をしており、しかもあまり開かないのが多い。かつては秋を感じさせる花の代表格で、山谷は無論田畑でもよく見かけたものだが、今では野生のリンドウを見かけるのは、山の中くらいだろう。
コスモス(秋桜):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
コスモスは秋桜とも表示されて、日本の秋にはなくてならないほど身近な花になった。だが原産地はメキシコの高原地帯で、日本に伝わったのは明治以降のことに過ぎない。生命力が強く、やせた土地にも生えるので、日本古来の草花をおしのけて繁茂しているほどだ。
カエデのもみじ:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
カエデ(楓)ともみじ(紅葉)とは、今では同義語になってしまったが、もともとの日本語では違う意味を持っていた。カエデとは植物分類学上の楓のことであり、もみじとは色づく葉のことをさしていたのである。ところが日本の木々の葉の中でも最も鮮やかに色づくものは楓であったから、いつの間にかもみじといえばカエデのことをさすようになった。
ツワブキ(石蕗):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
ツワブキはキク科の多年草で、福島以南の日本各地に自生している。名前の由来は艶のあるフキ(ツヤフキ)とする説があるが根拠は怪しい。しかしその葉はフキとよく似ている。フキの葉が柔らかくて繊毛があるのに対して、こちらは硬くしかも光沢がある。両方とも茎は食用になる。
ヒガンバナ(彼岸花:曼珠沙華):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
いつか大月付近の丸山というところを散策した折に、山の麓を流れる清流沿いに彼岸花が真っ赤に咲き並んでいたことを思い出す。あれは確か秋の彼岸の頃だったから、花はその名を裏切らずに咲いていたわけである。細長くのびた茎の先に、千々に乱れて咲く花の様子は、何とも不思議な気分に人を誘う。
アザミ(薊):水彩で描く折々の花
アザミの葉に手を触れて痛い思いをした人は多いことだろう。ただの痛さと違って、しびれるような感じがいつまでも続く、本当にいやな痛みだ。ぎざぎざとした葉の形がいかにも痛そうに思えるので、それとわかっていて触れる人はいないだろうが、他の雑草と混じって生えていることが多いので、思わず触ってしまう。
柿の実:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)
筆者が少年時代に住んでいた家には、庭の片隅に大きな柿の木があった。晩春に小さな白花を咲かせたあと、緑色の果実が夏の間に徐々に大きくなり、秋には橙色に色づく。その間台風がやってきて、多くの実が吹き飛ばされるが、それに耐えて生き残ったものが、秋の深まりとともに甘い実になる。筆者は物置の屋根に上り、そこから先端を二つに割った竹竿を延ばして、一つ一つ実をもぎ取ったことを思い出す。