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   <title>壺 齋 閑 話</title>
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日本語と日本文化を語る、　また読書の余韻から思想の芽を育てる</subtitle>
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   <title>凜凜として歲雲に暮る：夢の出会い（古詩十九首其十六）</title>
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   <published>2008-05-13T12:46:04Z</published>
   <updated>2008-05-13T12:50:08Z</updated>
   
   <summary>古詩十九首から其十六「凜凜として歲雲に暮る」を読む。
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      古詩十九首から其十六「凜凜として歲雲に暮る」を読む。

　　凜凜歲雲暮　　凜凜として歲雲に暮れ
　　螻蛄夕鳴悲　　螻蛄　夕べに鳴き悲しむ
　　涼風率已厲　　涼風　率かに已に厲しく
　　遊子寒無衣　　遊子　寒くして衣無し
　　錦衾遺洛浦　　錦衾　洛浦に遺りしも
　　同袍與我違　　同袍　我と違へり
　　獨宿累長夜　　獨り宿して長夜を累ね
　　夢想見容輝　　夢に想ふて容輝を見る
　　良人惟古歡　　良人　古歡を惟ひ
　　枉駕惠前綏　　駕を枉げて前綏を惠まる
　　願得常巧笑　　願はくは常に巧笑し
　　攜手同車歸　　手を攜へ車を同じうして歸ることを得んと
　　既來不須臾　　既に來りて須臾ならず
　　又不處重闈　　又重闈に處らず
　　亮無晨風翼　　亮に晨風の翼無し
　　焉能淩風飛　　焉んぞ能く風を淩いで飛ばん
　　眄睞以適意　　眄睞　以て意に適ひ
　　引領遙相希　　領を引いて遙かに相希ふ
　　徙倚懷感傷　　徙倚して感傷を懷き
　　垂涕沾雙扉　　涕を垂れて雙扉を沾す

      <![CDATA[厳しい寒さの中で歳も暮れ、けらが夕べに鳴き悲しむ時節になりました、冷たい風が激しく吹き荒れるというのに、あなたには寒さをしのぐ衣もないのでしょうか

かつてあなたは新婚の日のためにと、洛浦にあるわたしに錦の衾を贈ってくださいました、今ではその衾に共寝することができません、わたしは一人寝して長い夜を重ね、せめて夢の中であなたのお顔を見るのみです

夢の中であなたは、昔の喜びを思い出されたのか、車をまげてわたしのもとに来り、わたしに車に乗る紐を授けてくださいました、願わくば常に笑顔を以て、手を携え同じ車に乗って帰りたいものです

でも夢はすぐに覚め、あなたは再びいなくなってしまいました、隼の翼をもたない身では、風をしのいであなたのもとに飛んでいくこともできません

空の彼方のあなたのいる方を眺めやっては気をはらし、襟首をひいてはるかに望み見るばかりです、ためらいつつその場に佇み、流れる涙は扉を濡らすほどなのです


遠く離れて暮らす夫を思いやる妻の切ない気持ちを歌ったものである、妻は夫が恋しいあまり、夢の中で夫と出会う、夢に現れた夫は新婚の頃を思い出させ、妻はつかの間の喜びにひたるが、夢はたちまち破れ、夫はやはりいない、妻はいつものように夫のいる方向を眺めやっては、涙にくれるばかり、

洛浦は洛水の入り江、伏姫が女神となっているところとされる、妻は自分をその女神にたとえている、同袍は男女が寝衣をともにして寝ること、枉駕は車をめぐらして訪ねてくること、前綏は車に乗るときに用いる吊りひものこと


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/52/index.php">中国古代の詩</a>＞<a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/03/post_565.html">古詩十九首</a>

<li><a href="http://tao.hix05.com/index.html">陶淵明：詩と構想の世界</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/51/index.php">漢詩と中国文化</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/07/post_297.html">古詩源：中国古代の詩</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/02/post_108.html">秋瑾女史愛国の詩：寶刀歌</a></li>

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   <title>チューリップ：花の水彩画</title>
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   <published>2008-05-13T11:57:23Z</published>
   <updated>2008-05-13T12:01:31Z</updated>
   
   <summary>チューリップ：水彩で描く折々の花（壺齋散人画）

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         <category term="94)水彩画を楽しむ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[チューリップ：水彩で描く折々の花（壺齋散人画）

<div align="center">
<img src="http://blog.hix05.com/blog/Flower/flower009.tulip.jpg"></div>


春の花壇を彩るチューリップは、その名が物語るように舶来の種で、明治以降日本に伝わった。だが今日ではすっかり日本人の趣向に溶け込み、この花を見ないでは春の訪れに実感が伴わないほど、広く深く愛されるようになった。
]]>
      <![CDATA[色彩が豊かでかつ鮮烈なのは、花の中でも一二を競うだろう。形もまた愛らしい。細長い茎の先にふっくらと乗っかった花の姿は、絵になるものを持っている。画家たちにも好んでこの花を描くものが多い。今日では品種改良が進んで、色は青系をのぞけば殆どの色相をカバーしている。形態もこの絵にあるような単純なものから、八重咲きや百合咲きなど多彩だ。

原産地は中央アジアの高原だ。だから寒い気候が栽培には適している。日本では新潟や富山で栽培されているが、球根のほとんどはいまだにオランダから輸入されている。北ヨーロッパでチューリップつくりが盛んになったのは16世紀以降のことで、17世紀のオランダではチューリップの球根が投機の対象になったほど加熱した。今日の先物市場はチューリップへの投機を原型にして発展したものだ。

チューリップの花言葉には、愛に関連したものが多い。愛の告白、永遠の愛、誘惑といったものから、失われた愛、望みなき愛、失恋などネガティブなものまで多彩な愛の諸相に対応している。

チューリップを歌った歌としては、例の小学唱歌がある。誰でも子どもの頃に歌ったことがあるだろう。

球根には生命力がみなぎっており、簡単に分球するので、素人でも増やすことが出来る。ただし立派な球根を育てるには、開花後二日以内に花茎を切り取らねばならない。

この絵は筆者の家の庭で、プランターで育てたものだ。


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/94/index.php">水彩画を楽しむ</a>


<li><a href="http://hix05.com/">東京を描く</a></li>
<li><a href="http://watercolor.hix05.com/">水彩画―画材・テクニック・アーチスト</a></li>
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   <title>居酒屋マーメイド Lines on the Mermaid Tavern ：キーツ</title>
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   <published>2008-05-12T12:32:02Z</published>
   <updated>2008-05-12T12:38:54Z</updated>
   
   <summary>ジョン・キーツの詩「居酒屋マーメイド」 Lines on the Mermaid Tavern を読む。（壺齋散人訳）

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      ジョン・キーツの詩「居酒屋マーメイド」 Lines on the Mermaid Tavern を読む。（壺齋散人訳）

　　死んでいった詩人たちの魂よ
　　あなたがたの通った居酒屋マーメイドは
　　どんな素敵な野原やコケ蒸した洞窟
　　どんな理想郷より素晴らしかったそうですね
　　あなたがたの啜ったカナリアのワインは
　　どんな飲み物にも増してうまかった
　　天上のフルーツでさえも
　　この店の鹿肉のパイにはかなわない
　　何たる美味！
　　あなたがたはロビンフッドのように
　　マリアンのような女性をはべらせ
　　鹿の角にワインをくんで飲んだのでしたね

      <![CDATA[　　ある日その店の看板が
　　どこかに消えてしまったそうですね
　　だれも行方がわからなかったが
　　占星術師がそのわけを明かしてくれた
　　彼はガチョウのペンで羊皮紙に書いたという
　　その看板は新しい看板の下に隠れ
　　昔のままの姿でいると
　　そこには聖なる飲み物をすすり
　　満足して舌づつみする
　　ゾディアックの人魚が描かれていると

　　死んでいった詩人たちの魂よ
　　あなたがたの通った居酒屋マーメイドは
　　どんな素敵な野原やコケ蒸した洞窟
　　どんな理想郷より素晴らしかったそうですね

Mermaid Tavern はエリザベス朝時代のロンドンにあった酒場の名前である。セントポール寺院の東側、フライデー・ストリートとブレッド・ストリートの交差点にあり、フライデー・ストリートに面していた。

この酒場はまた、フライデー・ストリートクラブとも呼ばれ、そこには多くの文人たち、ベン・ジョンソン、ウォルター・ローリー、ジョン・ダン、そしてシェイクスピアなどが集まってきて、文学論議を交わしたという。

キーツの頃にはすでにその面影はなかったようだが、彼は往時を回顧して想像力を働かし、この詩を作ったのだろう。


Lines on the Mermaid Tavern - John Keats 
  
　　Souls of Poets dead and gone,  
　　What Elysium have ye known,  
　　Happy field or mossy cavern,  
　　Choicer than the Mermaid Tavern?  
　　Have ye tippled drink more fine         
　　Than mine host’s Canary wine?  
　　Or are fruits of Paradise  
　　Sweeter than those dainty pies  
　　Of venison? O generous food!  
　　Drest as though bold Robin Hood          
　　Would, with his maid Marian,  
　　Sup and bowse from horn and can.  

　　Ｉhave heard that on a day  
　　Mine host’s sign-board flew away,  
　　Nobody knew whither, till          
　　An astrologer’s old quill  
　　To a sheepskin gave the story,  
　　Said he saw you in your glory,  
　　Underneath a new old-sign  
　　Sipping beverage divine,         
　　And pledging with contented smack  
　　The Mermaid in the Zodiac.  

　　Souls of Poets dead and gone,  
　　What Elysium have ye known,  
　　Happy field or mossy cavern,          
　　Choicer than the Mermaid Tavern?  


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/61/index.php">英詩のリズム</a>＞<a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/04/_john_keats.html">ジョン・キーツ John Keats ：生涯と作品</a>

<li><a href="http://poetry.hix05.com/index.html">英詩と英文学 </a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/01/b_pbshelley.html">パーシー・B・シェリー</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/12/post_472.html">ウィリアム・ワーズワース</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/11/_robert_burns.html">ロバート・バーンズ</a></li>
<li><a href="http://blake.hix05.com/index.html">ウィリアム･ブレイク詩集</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/62/index.php">シェイクスピア</a></li>
<li><a href="http://poesie.hix05.com/index.html">フランス文学と詩の世界 </a></li>
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   <title>ギリシャの壺に寄す Ode on a Grecian Urn ：キーツ</title>
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   <published>2008-05-12T10:13:16Z</published>
   <updated>2008-05-12T10:20:02Z</updated>
   
   <summary>ジョン・キーツのオード「ギリシャの壺に寄す」Ode on a Grecian Urn  を読む。（壺齋散人訳）

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      ジョン・キーツのオード「ギリシャの壺に寄す」Ode on a Grecian Urn  を読む。（壺齋散人訳）

　　いまなお穢れなき静寂の花嫁よ
　　沈黙と悠久の養女よ
　　森の歴史家でもあるお前は
　　誰よりもやさしく花物語を語る
　　お前が神であれ人間であれ
　　お前の姿にはテンペあるいはアルカディアの谷の
　　緑に縁取られた伝説が付き添う
　　お前に描かれたものは　男か神か　拒絶する乙女たちか
　　狂おしき狩の追跡か　逃れようとする獣のあがきか
　　ラッパと太鼓　荒々しい陶酔か

      <![CDATA[　　耳に響くメロディに増して　沈黙のメロディは甘い
　　それ故描かれたラッパたちよ
　　耳にではなく心に向けて吹き鳴らせ
　　音を伴わぬ旋律を
　　木陰なる青年よ　お前は歌を忘れえず
　　木々もまた常に緑であることを忘れない
　　恋する青年よ　お前は競技に勝っても
　　乙女の接吻をもらえぬのを　嘆くなかれ
　　乙女は消え去ることなく　永遠に若きままに
　　お前の愛を受け止め続けるのだから

　　幸福な枝々よ　お前たちは葉を落とすことなく　
　　春に別れを告げることもない
　　そよぐ音は幸せなメロディとなって
　　永遠に歌い続けるのだ
　　それは幸せな　更に幸せな愛
　　なぜなら常に暖かくかつ静かで
　　常に何かを追い求め　若々しくいられるからだ
　　人間のはかない情動を超越し
　　悲しみにくれた心や　燃える額
　　舌の渇きなどに係わりをもたない

　　生贄のために連れて行かれるのは誰だ？
　　おお神秘の僧侶よ　いかなる緑の祭壇に
　　悲しげに泣きながら　わき腹を綱でしばられた
　　これらの雌羊たちを連れて行くのだ？
　　川沿いや海辺の小さな町
　　また山中に建てられた砦には
　　何故人がいないのか　この平和な朝に？
　　小さな町の通りは永遠に静まり返り
　　誰一人として　そのわけを
　　答えるために戻って来ることはない

　　アッチカ風の形　上品な風情に
　　大理石の青年や乙女が彫りこまれ
　　木々の枝や踏みしだかれた草が描かれている
　　その静かな形は見るものを慰め
　　永遠の感情に包んでくれる　冷たい田園の光景よ！
　　人間たちの古い世代が滅び去っても
　　お前はそのままに生き続ける
　　そして友として人間にいうのだ
　　“美は真　真は美　それがすべて
　　汝らが知り　また知っておらねばならぬことだ“と

1819年に書かれたこの作品は、キーツにとっての最高傑作とされているものの一つである。

キーツは、ギリシャ壺を目の前において、そこに施されたたさまざまな絵や彫刻をみながら、それらが喚起するイメージをそのまま美しい言葉に置き換えている。

キーツにとって、理想的な美が転回する世界がそこにはあった。またそれは滅びやすい人間の世界と異なり、永遠に滅びることのない美であった。

最後に壺が人間に向かって語りかけている言葉は、美そのものが壺の形をかりて語っていると解釈できる。キーツはこれと同じような言葉を、エンディミオンの冒頭部でも使っているが、それは美こそ詩人が追い求めるべき真の対象なのだという、キーツの確信を表明している言葉なのである。


Ode on a Grecian Urn - John Keats

　　Thou still unravish'd bride of quietness, 
　　Thou foster-child of Silence and slow Time, 
　　Sylvan historian, who canst thus express
　　A flowery tale more sweetly than our rhyme: 
　　What leaf-fringed legend haunts about thy shape
　　Of deities or mortals, or of both, 
　　In Tempe or the dales of Arcady? 
　　What men or gods are these? What maidens loth? 
　　What mad pursuit? What struggle to escape? 
　　What pipes and timbrels? What wild ecstasy? 

　　Heard melodies are sweet, but those unheard
　　Are sweeter; therefore, ye soft pipes, play on; 
　　Not to the sensual ear, but, more endear'd, 
　　Pipe to the spirit ditties of no tone: 
　　Fair youth, beneath the trees, thou canst not leave
　　Thy song, nor ever can those trees be bare; 
　　Bold Lover, never, never canst thou kiss, 
　　Though winning near the goal—yet, do not grieve; 
　　She cannot fade, though thou hast not thy bliss, 
　　For ever wilt thou love, and she be fair! 

　　Ah, happy, happy boughs! that cannot shed
　　Your leaves, nor ever bid the Spring adieu; 
　　And, happy melodist, unwearièd, 
　　For ever piping songs for ever new; 
　　More happy love! more happy, happy love! 
　　For ever warm and still to be enjoy'd, 
　　For ever panting, and for ever young; 
　　All breathing human passion far above, 
　　That leaves a heart high-sorrowful and cloy'd, 
　　A burning forehead, and a parching tongue. 

　　Who are these coming to the sacrifice? 
　　To what green altar, O mysterious priest, 
　　Lead'st thou that heifer lowing at the skies, 
　　And all her silken flanks with garlands drest? 
　　What little town by river or sea-shore, 
　　Or mountain-built with peaceful citadel, 
　　Is emptied of its folk, this pious morn? 
　　And, little town, thy streets for evermore
　　Will silent be; and not a soul, to tell
　　Why thou art desolate, can e'er return. 

　　O Attic shape! fair attitude! with brede
　　Of marble men and maidens overwrought, 
　　With forest branches and the trodden weed; 
　　Thou, silent form! dost tease us out of thought
　　As doth eternity: Cold Pastoral! 
　　When old age shall this generation waste, 
　　Thou shalt remain, in midst of other woe
　　Than ours, a friend to man, to whom thou say'st, 
'　　Beauty is truth, truth beauty,—that is all
　　Ye know on earth, and all ye need to know.'


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/61/index.php">英詩のリズム</a>＞<a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/04/_john_keats.html">ジョン・キーツ John Keats ：生涯と作品</a>

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<li><a href="http://poesie.hix05.com/index.html">フランス文学と詩の世界 </a></li>

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   <title>僕たち、わたしたち Boys and girls ：マザーグース</title>
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   <published>2008-05-11T09:05:05Z</published>
   <updated>2008-05-11T09:09:21Z</updated>
   
   <summary>僕たち、わたしたち Boys and girls come out to play（マザーグースの歌：壺齋散人訳）

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      僕たち、わたしたち Boys and girls come out to play（マザーグースの歌：壺齋散人訳）

　　僕たちもわたしたちも外へ出て遊ぼう
　　月の光が昼間のように明るいよ
　　大きな輪っかや小さな輪っかを
　　元気いっぱい転がして遊ぼう
　　食べたり寝てたりしてるより
　　友達と遊ぶほうが楽しいよ
　　はしごを上ったり塀から飛んだり
　　おなかがすいたらパンを食べよう
　　でもパンがなくなったらどうしよう？
　　そのときにはまた働いて稼ぐんだ

      <![CDATA[昔のイギリスの子どもたちは、昼の間は家の手伝いをしたり、忙しく働かなければなりませんでしたので、遊ぶ時間は夜しかありませんでした。夜にはご飯を食べなければなりませんし、寝る時間も必要です。でもそんな時間を工夫して、みんなで一緒に、楽しく遊ぼう。この歌はそう呼びかけているのです。


Boys and girls come out to play – Mother Goose Nursery Rhymes

　　Boys and girls come out to play, 
　　The moon does shine as bright as day; 
　　Come with a hoop, and come with a call, 
　　Come with a good will or not at all. 
　　Loose your supper, and loose your sleep, 
　　Come to your playfellows in the street; 
　　Up the ladder and down the wall. 
　　A halfpenny loaf will serve us all. 
　　But when the loaf is gone, what will you do? 
　　Those who would eat must work - 'tis true.


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/63/index.php">マザーグースの歌</a>

<li><a href="http://poetry.hix05.com/index.html">英詩と英文学 </a></li>
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<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/62/index.php">シェイクスピア</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/01/b_pbshelley.html" >パーシー・B・シェリー</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/12/post_472.html" >ウィリアム・ワーズワース</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/11/_robert_burns.html" >ロバート・バーンズ Robert Burns</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/61/index.php">英詩のリズム</a></li>

<li><a href="http://poesie.hix05.com/index.html">フランス文学と詩の世界 </a></li>

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   <title>ヘクター・プロテクター Hector Protector ：マザーグース</title>
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   <published>2008-05-11T08:11:49Z</published>
   <updated>2008-05-11T08:17:48Z</updated>
   
   <summary>ヘクター・プロテクター Hector Protector （マザーグースの歌：壺齋散人訳）

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      ヘクター・プロテクター Hector Protector （マザーグースの歌：壺齋散人訳）

　　ヘクター・プロテクターは緑色におめかし
　　女王様のところにご挨拶
　　でも女王様はヘクターがお嫌い
　　王様はもっと嫌いなさる
　　仕方なくヘクターは戻ってきました

      <![CDATA[豆のことを歌っているのでしょうか。中身は単純ですが、言葉のリズムが面白い。


Hector Protector was dressed all in green; – Mother Goose Nursery Rhymes

　　Hector Protector was dressed all in green;
　　Hector Protector was sent to the Queen.
　　The Queen did not like him,
　　No more did the King,
　　So Hector Protector was sent back again.


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/63/index.php">マザーグースの歌</a>

<li><a href="http://poetry.hix05.com/index.html">英詩と英文学 </a></li>
<li><a href="http://blake.hix05.com/index.html">ウィリアム･ブレイク詩集</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/62/index.php">シェイクスピア</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/01/b_pbshelley.html" >パーシー・B・シェリー</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/12/post_472.html" >ウィリアム・ワーズワース</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/11/_robert_burns.html" >ロバート・バーンズ Robert Burns</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/61/index.php">英詩のリズム</a></li>

<li><a href="http://poesie.hix05.com/index.html">フランス文学と詩の世界 </a></li>


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   <title>ガマ君とカエル君 The toad and the frog ：マザーグース</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hix05.com/blog/2008/05/_the_toad_and_the_frog.html" />
   <id>tag:blog.hix05.com,2008:/blog//1.763</id>
   
   <published>2008-05-11T07:13:25Z</published>
   <updated>2008-05-11T07:18:42Z</updated>
   
   <summary>ガマ君とカエル君 The toad and the frog（マザーグースの歌：壺齋散人訳）
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      <name></name>
      
   </author>
         <category term="63)マザーグースの歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.hix05.com/blog/">
      <![CDATA[ガマ君とカエル君 The toad and the frog（マザーグースの歌：壺齋散人訳）

<div align="center">
<img src="http://blog.hix05.com/blog/Watercolor/mg017.frog.jpg"></div>


　　「げろっ」とガマ君がいいました
　　「おなかがすいたみたいだな
　　そういえば朝からずっと
　　食べたり飲んだりしていない
]]>
      <![CDATA[　　どれ庭のほうに這っていって
　　あの囲いをすり抜けて
　　そこにいるナメクジや
　　カタツムリをご馳走になろう」

　　「ケロケロ」とカエル君がいいました
　　「君はそうしたいのかい？
　　では僕は飛び跳ねていって
　　牧場の小川まで行きましょう

　　そこで水をたらふく飲んで
　　ミミズやナメクジを食べましょう
　　きっと君とおんなじように
　　素敵な食事になるでしょう」

ガマ君とカエル君のお話は、アーノルド・ローベルが絵本のシリーズとして紹介していますので、沢山の子どもたちが知っているはずです。


The toad and the frog – Mother Goose Nursery Rhymes

　　"Croak!" said the toad,
　　"I'm hungry, I think;
　　Today I've had nothing
　　To eat or to drink.

　　I'll crawl to a garden
　　And jump through the pales,
　　And there I'll dine nicely
　　On slugs and on snails."

　　"Ho, ho!" quoth the frog,
　　"Is that what you mean?
　　Then I'll hop away to
　　The next meadow stream;

　　There I will drink, and
　　Eat worms and slugs too,
　　And then I shall have a
　　Good dinner like you."


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/63/index.php">マザーグースの歌</a>

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<li><a href="http://blake.hix05.com/index.html">ウィリアム･ブレイク詩集</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/62/index.php">シェイクスピア</a></li>
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   <title>白いガーベラとオレンジ：花の水彩画</title>
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   <published>2008-05-10T10:11:04Z</published>
   <updated>2008-05-10T10:14:17Z</updated>
   
   <summary>白いガーベラとオレンジ：水彩で描く折々の花（壺齋散人画）</summary>
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         <category term="94)水彩画を楽しむ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.hix05.com/blog/">
      <![CDATA[白いガーベラとオレンジ：水彩で描く折々の花（壺齋散人画）

<div align="center">
<img src="http://blog.hix05.com/blog/Flower/flower008.gerbera.jpg"></div>


ガーベラはキク科の多年草である。旺盛な生命力を持つと見え、春と秋と年に二度咲き、しかも数年にわたって咲き続けるという曲者である。しかも花は豪華なイメージを与え、切花にして花束に添えると、ぱっと明るくなるので、人気の高い花だ。
]]>
      <![CDATA[原産地はアフリカだ。だから日本ではアフリカ千本槍の異名がある。放射状に伸びた花弁の先が尖っていてそれが槍に見え、しかもその数が夥しいことから、こんな名がつけられたのだろう。ガーベラという名前自体は、発見者の名に由来しているらしい。

熱帯出の花にしては夏の暑さには弱いようだ。当然冬の寒さにも弱い。ということで、結構世話には気を使うが、世話をしたなりの効果は十分に見せてくれるから、育て甲斐のある花だといえる。

花言葉としては、神秘とか希望といったものがある。だが何故この花が神秘さを連想させるのか、筆者には腑に落ちないところがある。押し出しの強さを感じさせる花だからだ。

色合いとしては、白のほかに黄色から朱色を経て紫に至るまで、暖色の色相をほぼカバーしている。絵は、白いガーベラを切花にして花瓶に活け、傍らにオレンジを配して描いたものだ。


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/94/index.php">水彩画を楽しむ</a>


<li><a href="http://hix05.com/">東京を描く</a></li>
<li><a href="http://watercolor.hix05.com/">水彩画―画材・テクニック・アーチスト</a></li>


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   <title>大塩平八郎：大逆事件と森鴎外の体制批判意識</title>
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   <published>2008-05-10T09:20:09Z</published>
   <updated>2008-05-10T09:24:27Z</updated>
   
   <summary>森鴎外が大正二年の十二月に書き上げた歴史小説の第五作目「大塩平八郎」は、それまでの歴史小説とはいささか趣を異にしている。

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         <category term="44)日本文学覚書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.hix05.com/blog/">
      森鴎外が大正二年の十二月に書き上げた歴史小説の第五作目「大塩平八郎」は、それまでの歴史小説とはいささか趣を異にしている。


      <![CDATA[「興津弥五右衛門の遺書」から「護持院原の敵討」に至る四作は、いづれも歴史上の出来事を取り上げ、依拠した資料をして自ら語らしめながら、そこに生きた人間たちの、生の人間性といったものを淡々と描き出そうとする態度に貫かれていた。鴎外が彼らに垣間見たのは、武士としての意地であり、人間として当然の義務を果たそうとする、無私の衝動であった。鴎外はそこに、人間の人間としての、時代を超えた普遍的な感情を見ようとした。

これらの作品で取り上げられた人物たちは歴史上に実在した人たちだったとはいえ、殆ど無名であって、彼らの行状を記した資料もいわば穴だらけといってよいものだった。鴎外はその穴を必要な範囲で最小限につくろいながら、主人公たちの表情を浮き上がらせようとつとめていた。

これに対して、大塩平八郎は歴史上有名な人物であった。彼の起こした行動については、さまざまな見方があったが、畢竟マイナスのイメージで彩られていた。幕藩体制から鴎外の生きた天皇制の時代を通じて否定的な評価が定着していたのである。

大塩平八郎は幕藩体制にとっては、体制の転覆を図ったけしからぬ男であった。、また天皇制の時代になっても、暴動を以て権威に立ち向かった無謀な男であり、天保時代に世を襲った飢饉など悲惨な時代背景を割り引いても、同情できるところは全くないと断罪されてきた。

鴎外はそんな大塩平八郎という男を改めてとりあげ、彼の起こした暴動の一部始終を描きながら、それが持った歴史的な意味合いを考え直そうとした。あわせて大塩平八郎の人物像や暴動にかかわった人々の行動を詳細にあぶりだそうとした。

鴎外がこの小説を書くにあたっては、典拠とすべき優れた業績が存在していた。同時代の歴史家幸田成友が明治43年に出版した「大塩平八郎」という本である。幸田は大阪市史を編纂する過程で、大阪の歴史に大きな足跡を刻んだこの人物に同情を抱くようになり、世間に流布している誤伝謬説を打破して、平八郎に対して相応しい評価を与えようと試みたのであった。

この本は大塩平八郎という人物について、生い立ちより始めて与力としての功績、学者としての思想を述べ、天保の飢饉下で大塩が如何に世を憂え、どのような動機にもとづいて反乱を惹起せしめたかを、克明に追及した。そこには幕府によってかぶせられた逆賊・不倫の汚名から大塩平八郎の名誉を回復せしめようとの意図が働いていた。

鴎外はこの幸田の本を下敷きに使って、「大塩平八郎」を描いた。だが幸田とは異なり、鴎外は平八郎に肩入れするような言辞は一切用いていない。また平八郎についての余分な側面は一切省略して、暴動当日のわずか一日間の動きに焦点を合せている。それも、くだくだしい説明は除き、平八郎を中心にした人物たちの行動を淡々と描いているのみである。

鴎外研究家の尾形仂は、幸田の本と鴎外の小説とを読み比べて、面白い論を展開している。尾形は小泉浩一郎の「大塩平八郎論」を引き合いに出して、鴎外がこの小説に垣間見せている見解として三つのものをあげている。

一つは町奉行たちの行動や心理を描くことを通じて、官僚たちの無能や俗物性を強調していること。二つ目は、「己が陰謀を推し進めたのではなくて、陰謀が己を拉っし去ったのだ」という平八郎の言葉を引用して、平八郎の陰謀に対する受動性を強調していること。三つ目は、累を及ぼしたものへの平八郎の謝罪や、逃亡の道筋で見せる生への執着を強調していること。以上の三点である。

とくに二つ目の陰謀に対する受動性という点に関しては、鴎外は弟子の宇津木に師匠を批判する言葉をはかせ、その行動が幕府や天皇に対して向けられた計画的な反乱ではなく、先をみないその場限りの暴挙に終っていると言わせている。

尾形はこの部分を解釈して、鴎外が平八郎に対してなした「国家秩序の変革への展望を欠落させた一揆的暴動への批判」と見ている。鴎外が平八郎をこのように批判する背景には、同時代に対する厳しい批判意識が重なっていたのだと、尾形は考える。幸徳秋水らがかかわったいわゆる大逆事件に対して、鴎外が示した反応に、その批判意識が表れているとみているのである。

明治43年におきた「大逆事件」は、無政府主義者による天皇制転覆の企てとして、体制を震撼させる事件に発展した。政府は過剰とも言える反応を見せ、その年の五月に最初の検挙者を出して以来、違例のスピード捜査と非公開の裁判を以て、翌年の1月には24人の死刑を始めとして、関係した26人全員に判決が下された。

鴎外は被告側弁護人平出弁護士の手を通じて、その裁判の内実を読むことができる立場にいた。鴎外はそれを読むことを通じて、幸徳秋水らの思想的な未熟さや、ましてそれが計画的な革命をなすには程遠いものだったことなどを知り、幸徳秋水らに対する官憲側の異常なまでの過剰反応の一切を知ることができたのだろう。

当時の鴎外は、大逆事件については神経質になっていた節がある。日記の中でそのことについては殆ど触れていないばかりか、むしろ空白の日が目立っている。恐らく自身係わりのあったこの事件について、慎重にならざるを得なかったのだろう。

だが大正も二年目を迎えて、世間の記憶が風化し始めたのを見計らったのか、鴎外はこの事件を何らかの形で取り上げたいと思うようになった。だが正面から取り上げるには危険が大きすぎる。そこで鴎外は、似たような事件の先例として大塩の乱に目をつけ、それに託しながら大逆事件の意味を考え直そうとしたのではないか。これが、尾形の推論のあらましである。

大塩平八郎の乱と大逆事件には似ているところが非常に多い。まずその無計画性である。平八郎自身「陰謀が己を拉っし去った」といっているように、平八郎の乱は、義憤に駆られるまま、自然の流れに乗って暴発したものだった。それを大きな騒ぎに燃え上がらせたのは、町奉行をはじめ幕府側の事大主義的な対応である。

同じように大逆事件も、綿密な計画に支えられたものではなかった。幸徳秋水自ら、「これは一種の正当防衛です」といっているように、一方では世の中の不条理に義憤を感ずるまま、その義憤のはけ口をもとめて暴発したという側面があるとともに、官憲側の異常な反応が彼らを妄動へと追いやった側面もある。

権力側の対応にも似通ったものがある。大塩の乱に際しては、町奉行方は終止無能振りを発揮してなすすべもなかったが、やがて巨大な力を集中してちっぽけな反乱者集団を包囲していく。権力の事大主義である。大逆事件においても、官憲側は相手の能力からすると異常とも思える力の行使に頼ることによって、相手を粉砕しようとした。しかもその過程では、裏切りや密告をそそのかして、相手側を内部から崩壊させようと躍起にもなった。

大塩の時代の場合には、この寝返りの行為は返忠という言葉で美化されていた。正しくあるべき幕府方に忠義をつくすのだから、それは否定的な意味での裏切り行為ではなく、大儀に対する忠誠というわけである。大逆事件の際にも、密告や裏切りが生じたが、鴎外はこうした行為に対して、衷心から怒りを覚えた。

鴎外はこの二つの不幸な暴挙を、「未だ覚醒せざる社会主義」と呼んだ。鴎外の気持では、そうした暴動を引き起こさせたのは、権力による人民に対する誅求であり、これを葬り去ったのも権力による弾圧であった。鴎外はその権力の中に、余りにも人間性に反するものを見たが故に、それに対して批判的にならざるを得なかった。

鴎外はもとより官僚として人生を送り、権力機構そのものの、しかも中枢近くにいた男である。その男が何故、かくも権力に対して批判意識を持つのか。森鴎外という一個の人間を理解するための鍵が、この問いには潜んでいる。


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/44/index.php">日本文学覚書</a>＞<a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/04/post_578.html">森鴎外晩年の歴史小説</a>

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   <title>ウィリアム・オッカム：実在論と唯名論</title>
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   <published>2008-05-09T11:51:24Z</published>
   <updated>2008-05-09T11:54:13Z</updated>
   
   <summary>ウィリアム・オッカム（またはオッカムのウィリアム William of Occam 1290?-1349?）は、ドゥンス・スコトゥスと並んでスコラ哲学の最後の世代を代表する学者である。オッカムとは彼の生まれた土地の名である。イングランドのサリー州にあったともいい、ヨーク州にあったともいう。当時聖職者の名を、その出身地によって呼ぶことが広く行なわれていた。聖トマス・アクィナスも、やはり父親の知行地アクィノが自分の姓名になっている。</summary>
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         <category term="74)知の快楽" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.hix05.com/blog/">
      ウィリアム・オッカム（またはオッカムのウィリアム William of Occam 1290?-1349?）は、ドゥンス・スコトゥスと並んでスコラ哲学の最後の世代を代表する学者である。オッカムとは彼の生まれた土地の名である。イングランドのサリー州にあったともいい、ヨーク州にあったともいう。当時聖職者の名を、その出身地によって呼ぶことが広く行なわれていた。聖トマス・アクィナスも、やはり父親の知行地アクィノが自分の姓名になっている。
      <![CDATA[ウィリアム・オッカムはフランチェスコ会系の神学者でありながら、人間の論理的思考を神学や形而上学から切り離し、科学的な分析の対象とした。そうした方法的な態度が後世に影響を与え、中世と近世とを思想的に橋渡ししたと評価されている。

ウィリアム・オッカムの思想をよく現しているものとして、「オッカムの剃刀」Occam’s Razor といわれる格率がある。これは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に実体を増やしてはならない」とするものである。「少数の論理で説明できる場合には、多数の論理を持ち出す必要はない」とも言い換えられる。

例えば、物体の運動に関して次のような説明があるとする。「外から力が加えられない限り、物体は神によって永遠に等速直進運動をさせられる」これは今日言う慣性の法則を表現したものだが、オッカムはこの中から神を持ち出すことは余計だといって、次のように言い換える。「物体は外からの力が加わらない限り、永遠の等速直線運動をする」

このように、事柄の説明はそれに必要な最低限のもので済ますべきであって、神をはじめ形而上学的な説明原理をべたべたと付け加えるのは、科学的な態度ではないというのがウィリアム・オッカムの格率が意味するところである。今日では当たり前の考え方であるが、オッカムの生きた時代にあっては、あらゆる説明が神学的・形而上学的狭雑物によって飾られていたのである。

ウィリアム・オッカムにとって、論理学は神学や形而上学から独立した、人間の精神作用を対象とする一つの自然学ともいうべきものであった。

一般に科学というものは事物を対象とするものだが、論理学はそうではない。事物は個別的なものであるが、それを表わす名辞には、個別的な名辞のほかに、普遍を表わす名辞もある。論理学が扱うのはこの普遍名辞なのである。

個別的な名辞は諸々の事物が感覚に現れるさまをそのままにさしている。これをオッカムは「第一次指向の名辞」と呼んだ。これは経験の世界で起こることであり、ある事物についての特定の経験を持たないものにとっては、その事物を表わす名辞はなんらの具体的な表象を呼び起こさない。石を見たことのないものにとっては、石についてどんなことを聞かされても、それがどんなものであるか、具体的な表象が浮かんでこないのである。

これに対して論理学が扱う名辞は、個別的な名辞を超えた普遍をあらわす名辞とその相互の関係を扱う。それは人間の精神作用の反映である。オッカムはこのような名辞を「第二次的指向の名辞」と呼んだ。

普遍を表わす名辞は、「第二次的指向の名辞」として、いわば精神の働きを表わす符号のようなものであって、個別的な事物そのものを直接表わすわけではない。普遍は事物のあり方について人間が便宜上付した記号に過ぎない。

ウィリアム・オッカムのこのような主張は、スコラ哲学の中で長期にわたって展開されていた普遍論争との関係においてとらえ直す必要がある。普遍的な概念は個々の事物を超えたあるものであるが、そのあるものをどうとらえるかによって、実在論と唯名論の対立が生じていた。実在論者はプラトンのイデア論を遠い祖先として、普遍的な概念に実在性を付与した。それに対して唯名論者は、普遍的な概念は人間が論理的な思考のために作り出した名称に過ぎず、したがってそれは人間の精神作用の中に現れるのみで、実在性は持たないと主張した。

ウィリアム・オッカムの主張は、この普遍論争に一定の決着をもたらしたものと評価されている。オッカムは次のようにいう。

我々は事物を指し示す言葉と、意味を指し示す言葉を区別しなければならない。でないと次のようなナンセンスに陥ってしまう。「人間は一つの種である、ソクラテスは一人の人間である、したがってソクラテスは一つの種である」

またソクラテスとプラトンは似ているといわれるが、それは「類似性」という第三の事物のためにそうなるのではない。類似性というのは、普遍を表わす「第二次的指向の名辞」であり、それは人間の精神作用の中にのみある。これを言い換えれば、類似性というものを介してソクラテスとプラトンが結びつくのではなく、ソクラテスとプラトンを比較することから類似性という観念が生じてきたのだ。

ウィリアム・オッカムは、神学や形而上学の言葉を持ち出さずに、論理学や人間の知識を研究することができると主張した。スコラ哲学はアウグスティヌスの巨大な影響の下で、人間をまず知的なものではないと前提した上で、神から出る無限の光に導かれて、事物の本来のあり方を認識できるようになるのだと、教えてきた。これに対してオッカムは、神の光がなくても、人間には科学的な思考が可能だということを主張したのである。

このことからわかるように、ウィリアム・オッカムは科学的な思考に道を開いた人として、歴史上に一定の影響を及ぼした。だが彼は本来フランチェスコ会の神学者であり宗教家であった。宗教家としてのオッカムは、アヴィニョンにいた法王と対立し、当時法王と対立関係にあったドイツ皇帝に近づいた。その立場からオッカムは、法王の絶大な権力を牽制するための議論を展開した。

オッカムはパドヴァのマルシグリオの主張を推し進め、宗教における個人的な信念の重要性を擁護した。中世を通じて教会の権威は巨大であり、それが末期においては法王の権威として受け継がれていたのだが、その権威よりも個人の宗教的な信条が優先される場合もあるとした。

こうした思想はやがてルターによって受け継がれ、プロテスタントによる宗教革命へとつながっていくであろう。


関連リンク：　<a href="http://philosophy.hix05.com/index.html">知の快楽</a>

<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/07/post_302.html">タレス：最初の哲学者</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/09/post_385.html">ソクラテスとは何者か</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/10/post_418.html" >プラトン哲学</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/12/post_468.html">アリストテレス</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/02/post_540.html">ディオゲネス：犬儒派或はキュニコスの徒</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/03/post_574.html" >聖アウグスティヌス：カトリック神学の祖</a></li>

]]>
   </content>
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   <title>モディリアーニ展を見る</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hix05.com/blog/2008/05/post_617.html" />
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   <published>2008-05-09T10:08:19Z</published>
   <updated>2008-05-09T10:11:24Z</updated>
   
   <summary>モディリアーニは西洋の近代絵画のなかでも日本人に最も愛されている画家の一人だ。その展覧会が乃木坂の国立新美術館で開催されている。筆者もモディリアーニ・ファンの一人として見に行ったが、予想以上に多くの人々が訪れているのに驚いた。人気の根強さを伺わせる。</summary>
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         <category term="91)日々雑感" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.hix05.com/blog/">
      <![CDATA[<div align="center">
<img src="http://blog.hix05.com/blog/Watercolor/wc0805.modigliani.jpg"></div>


モディリアーニは西洋の近代絵画のなかでも日本人に最も愛されている画家の一人だ。その展覧会が乃木坂の国立新美術館で開催されている。筆者もモディリアーニ・ファンの一人として見に行ったが、予想以上に多くの人々が訪れているのに驚いた。人気の根強さを伺わせる。
]]>
      <![CDATA[今回の展示会は日本国内では過去最大規模だという。油絵を中心にスケッチ類まで計150点が展示されている。そのなかにはユゲットの肖像画やジャンヌ・エビュテルヌの半身像など有名な作品も多数含まれている。世界中のコレクションから借りてきたというから、モディリアーニの作品をこれだけまとまめ見られる機会はそう多くはないだろう。

展覧会は、モディリアーニの生涯の時代区分に従い、駆け出し時代の野生的な絵、カリアティードを中心にした作品群、過渡的な時代の作品、そして完成期の肖像画群という具合に、テーマ別に展示していた。

今回特に印象的だったのは、カリアティードの展示が充実していたことだ。カリアティードとは、柱の上部に彫られた人体の模型で、柱の上に乗っている梁を支えるかのように装飾された彫像のことだ。モディリアーニのカリアティードと呼ばれる作品が、いづれも両手を上に掲げ、何かを支えているように見えるのは、そのためなのである。

モディリアーニは、はじめ彫刻家になることを志し、そのテーマとしてカリアティードを選んだ。彫刻やデッサンの形で夥しいカリアティード像を作成しているが、彼自身はこれらを用いて、本格的な建築物を作るのが夢だったらしい。

カリアティードのフォルムは単純化され、アフリカの原始的な美術を思わせる。これは彼が初期に受けたプリミティヴィズムの反映であることが、展示作品の配列から、目に見える形で伝わってくる。

円熟期の作風に見られる、所謂モディリアーニらしさとは、平板な画面構成、単純化されたフォルム、長い首や塗りつぶした瞳などに見られるデフォルメである。これらとカリアティードを一度に眺めわたしてみると、両者の間には共通するものが感じられる。それはモディリアーニが駆け出し時代に体験したプリミティヴィズムなのだということを、今回改めて納得した。

展覧会にはまた、モディリアーニがマックス・ジャコブやアンドレ・サルモンらと一緒にいるところをジャン・コクトーが写した写真も展示されていた。この時代は、芸術家がジャンルや国籍を超えて交流したよき時代であった。コクトーの写真はそんなことを感じさせた。

モディリアーニは35歳で死んだ。彼の多くの絵のモデルとなった妻のジャンヌは、コクトーの死んだ翌々日に自殺した。モディリアーニの死をめぐっては、いまだに様々な伝説が伝えられている。

なお、上の絵は「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」をモチーフにして、筆者が水彩絵の具で描いたものである。


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   <title>エドガー・ポーの墓 Le Tombeau d&apos;Edgar Poe ：マラルメ</title>
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   <published>2008-05-08T10:13:39Z</published>
   <updated>2008-05-08T10:17:20Z</updated>
   
   <summary>ステファヌ・マラルメの詩「エドガー・ポーの墓」Le Tombeau d&apos;Edgar Poe を読む。（壺齋散人訳）
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      ステファヌ・マラルメの詩「エドガー・ポーの墓」Le Tombeau d&apos;Edgar Poe を読む。（壺齋散人訳）

　　ついに永遠が彼自身の姿となって現れたかのように
　　詩人が諸刃の剣を振りかざして起き上がると
　　同時代人たちは改めて思い知らされるのだ
　　この奇怪な声の中に勝ち誇っている死のことを

      <![CDATA[　　怪物ヒドラが痙攣しつつ天使の声を聞いたように
　　人々は詩人の言葉に純粋な意味を認めはしたが
　　それはどろどろとした黒い水溜りから汲み取られた
　　魔法の言葉だと声高に叫ぶのだった

　　泥だ　敵意に満ちた雲だと　おお悲哀よ！
　　我々の想像力がまぶしいポーの墓を
　　レリーフで飾ることも出来ないのなら

　　陰惨の闇から落ちてきたこの静かな石の塊
　　少なくともその石に永遠の霊域を刻み込み
　　未来に向かって振りまかれた冒涜の徴を語らしめよ

マラルメはエドガー・アラン・ポーに深く傾倒し、その作品の多くをフランス語に翻訳している。海の彼方に眠るポーの墓を、マラルメが実際にみたことは無論なかったが、生前誰からも評価されなかったこの孤高の詩人の死の意味について、マラルメは尊敬の念を持って語っている。

エドガー・ポーの価値を最初に発見したのは、フランス人のボードレールだ。ポーの故郷アメリカは、いわば逆輸入の形でポーを再発見したが、短編の推理小説を愛することはしても、その詩はなかなか理解されなかった。


Le Tombeau d'Edgar Poe - Stéphane Mallarmé

　　Tel qu’en Lui-même enfin l’éternité le change, 
　　Le Poëte suscite avec un glaive nu 
　　Son siècle épouvanté de n’avoir pas connu 
　　Que la mort triomphait dans cette voix étrange ! 

　　Eux, comme un vil sursaut d’hydre oyant jadis l’Ange 
　　Donner un sens plus pur aux mots de la tribu 
　　Proclamèrent très haut le sortilège bu 
　　Dans le flot sans honneur de quelque noir mélange. 

　　Du sol et de la nue hostiles, ô grief ! 
　　Si notre idée avec ne sculpte un bas-relief 
　　Dont la tombe de Poe éblouissante s’orne 

　　Calme bloc ici-bas chu d’un désastre obscur, 
　　Que ce granit du moins montre à jamais sa borne 
　　Aux noirs vols du Blasphème épars dans le futur. 


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<li><a href=" http://poesie.hix05.com/Baudelaire/baudelaire.index.html" >ボードレール Charles Baudelaire</a></li>
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   <title>マラルメ嬢の扇 Autre Éventail de Mademoiselle Mallarmé</title>
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   <published>2008-05-07T11:41:44Z</published>
   <updated>2008-05-07T11:50:19Z</updated>
   
   <summary>ステファヌ・マラルメの詩「マラルメ嬢の扇」 Autre Éventail de Mademoiselle Mallarmé を読む。（壺齋散人訳）
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      ステファヌ・マラルメの詩「マラルメ嬢の扇」 Autre Éventail de Mademoiselle Mallarmé を読む。（壺齋散人訳）

　　夢多き子よ　道なき道をたどり
　　お前の純粋な喜びのうちに浸れるように
　　嘘でもよいから言っておくれ
　　私の翼をお前の手で受け止めてくれると

      <![CDATA[　　夕暮れのすがすがしい風が
　　扇の一あおぎごとにお前に届く
　　お前の手の中の扇が動くたびに
　　地平線をかすかに後退させる

　　眩暈がする！扇の動きに空間が
　　激しい接吻のように震える
　　それは誰かのために生まれ出ようとするが
　　迸り出ることも静まることもできぬ

　　お前はあの野獣たちの天国を感じるかい
　　それはまるで　押し殺した忍び笑いが
　　お前の口の端から生まれ
　　咽喉の奥に吸い込まれていくような感じだ

　　ばら色に染まった浜辺の王杓が
　　黄金の夕べの光に澱んでいるようだ
　　それこそは閉じられた白い扇
　　お前はそれを腕輪にあててかざしているのだ

この詩は1884年に書かれ、やはり扇の上に清書された。マラルメの長女ジュヌヴィエーヴは1864年に生まれているから、この詩が書かれたときには、20歳の乙女だったわけだ。マラルメはあるいは、娘が20歳になった記念に、この詩を書き入れた扇をプレゼントしたのかもしれない。


Autre Éventail de Mademoiselle Mallarmé - Stéphane Mallarmé

　　O rêveuse, pour que je plonge 
　　Au pur délice sans chemin, 
　　Sache, par un subtil mensonge, 
　　Garder mon aile dans ta main. 

　　Une fraîcheur de crépuscule 
　　Te vient à chaque battement 
　　Dont le coup prisonnier recule 
　　L’horizon délicatement. 

　　Vertige ! voici que frissonne 
　　L’espace comme un grand baiser 
　　Qui, fou de naître pour personne, 
　　Ne peut jaillir ni s’apaiser. 

　　Sens-tu le paradis farouche 
　　Ainsi qu’un rire enseveli 
　　Se couler du coin de ta bouche 
　　Au fond de l’unanime pli ! 

　　Le sceptre des rivages roses 
　　Stagnants sur les soirs d’or, ce l’est, 
　　Ce blanc vol fermé que tu poses 
　　Contre le feu d’un bracelet. 


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   <title>喇叭水仙：花の水彩画</title>
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   <published>2008-05-07T10:08:07Z</published>
   <updated>2008-05-07T10:13:33Z</updated>
   
   <summary>喇叭水仙：水彩で描く折々の花（壺齋散人画）

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      <![CDATA[喇叭水仙：水彩で描く折々の花（壺齋散人画）

<div align="center">
<img src="http://blog.hix05.com/blog/Flower/flower007.narcissus.jpg"></div>


水仙の仲間のうち、花弁の内側にある副花冠と呼ばれる部分が喇叭のように飛び出しているものを喇叭水仙という。日本では、水仙といえば平べったい日本水仙をさすことが普通なので、この変わった形のものを喇叭水仙というようになったが、欧米ではこちらのほうが水仙の主流だ。英語でも Daffodil といえばこの喇叭水仙をさしている。
]]>
      <![CDATA[ワーズワースの有名な詩に出てくる水仙も、無論この喇叭水仙だ。これは日本水仙に比べて頭が重いので、風に吹かれると、揺れる姿もダイナミックになる。そこが詩人のイマジネーションを誘ったのだろう。デボラ・カーが主演した「黒水仙」という映画があったが、あれはたしかインドの喇叭水仙をテーマにしていたものと思う。黒というが、色は濃い紫だったのではないか。

喇叭水仙には毒がある。（日本水仙にもあるらしい）葉は韮に似て、鱗茎と呼ばれる球根のような部分は野蒜の鱗茎に似ているので、間違って食われることがままある。うっかり食ったりすると、激しい腹痛と下痢に見舞われ、また頭痛などの神経障害を起こすこともあって、場合によっては死ぬこともあるそうだ。

名こそ喇叭を冠しているが、無論音を出すことはない。風に吹かれて首を振ったときなど、喇叭状の部分からヒューヒューと音をたてたら面白かろう。

この絵にある喇叭水仙は、筆者の家の庭に置いてあるプランターで育てたものだ。秋に鱗茎を植えておくと、春先にはこのように咲く。

<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/01/_the_daffodils.html">水仙 The Daffodils：ワーズワース</a></li>


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/94/index.php">水彩画を楽しむ</a>

<li><a href="http://hix05.com/">東京を描く</a></li>
<li><a href="http://watercolor.hix05.com/">水彩画―画材・テクニック・アーチスト</a></li>

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   <title>生年百に満たず（古詩十九首其十五）</title>
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   <published>2008-05-06T10:19:28Z</published>
   <updated>2008-05-06T11:08:44Z</updated>
   
   <summary>古詩十九首から其十五「生年百に満たず」を読む。

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         <category term="52)中国古代の詩" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      古詩十九首から其十五「生年百に満たず」を読む。

　　生年不滿百　　生年　百に滿たざるに
　　常懷千歲憂　　常に千歲の憂ひを懷く
　　晝短苦夜長　　晝は短くして夜の長きに苦しむ
　　何不秉燭遊　　何ぞ燭を秉りて遊ばざる
　　為樂當及時　　樂しみを為すは當に時に及ぶべし
　　何能待來茲　　何ぞ能く來茲を待たん
　　愚者愛惜費　　愚者は費を愛惜し
　　但為後世嗤　　但　後世の嗤ひと為る
　　仙人王子喬　　仙人王子喬は
　　難可與等期　　與に期を等しうすべきこと難し

      <![CDATA[人の一生は百年にも満たないというのに、常に千年の憂いを抱いているのは馬鹿げたことだ、昼が短く夜が長いなどと苦言を呈していないで、蝋燭をともして夜を楽しむべきだ、楽しみを求めるのに機会を逸してはならない、来年に延ばそうなどもってのほかだ

愚者は金を惜しんで楽しむこともせず、後世の笑いものとなる、仙人の王子喬は不老長寿を得たということだが、凡人の我々にはとてもかなわぬことではないか


短い人生を、今の時間にせいいっぱい楽しもうとするこの歌は、古詩十九首のなかでも後世に及ぼした影響がもっとも大きかったものである、冒頭の二句といい、「樂しみを為すは當に時に及ぶべし」の句といい、繰り返し引用された、

王子喬は周の太子晋のこと、道士に伴われて崇山に入り、ついに仙人になったという、

なお、この詩の中の句は、楽府の西門行の中で、順序は違うがそっくり歌いこまれている。どちらが先にできたのかは、論証されていない。


関連リンク：　<a href="http://blog.hix05.com/blog/52/index.php">中国古代の詩</a>＞<a href="http://blog.hix05.com/blog/2008/03/post_565.html">古詩十九首</a>

<li><a href="http://tao.hix05.com/index.html">陶淵明：詩と構想の世界</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/51/index.php">漢詩と中国文化</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/07/post_297.html">古詩源：中国古代の詩</a></li>
<li><a href="http://blog.hix05.com/blog/2007/02/post_108.html">秋瑾女史愛国の詩：寶刀歌</a></li>

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