日本語を語る


いわゆる「ら抜き言葉」が流行るきっかけになったのは「食べる」という言葉だった、そういう旨のことを先稿で述べた。

「へ」の話といっても、臭いをともなったあの「へ」のことではない。接尾詞としてほかの言葉にともなわれ、場所や位置についての観念をあらわす「へ」のことである。たとえば「みずべ=水辺」とか「いそべ=磯辺」という言葉の中にあらわれる「へ」である。

英語をはじめヨーロッパ言語には、色に固有の名称を持っているものが多い。たとえば英語では、Red Blue Yellow のように、三原色といわれる基本的な色にはそれに固有の名詞を当てているし、Purple Green のような二次色、Black White のようなニュートラル・カラーにも固有の名詞を当てている。更に Brown Grey のような三次色まで固有の名詞を持っている。

現代日本語には臭覚を表す言葉として、「におう」と「かおる」があり、その名詞形として「におい」と「かおり」がある。「におい」のほうは良い匂いにも悪い臭いにも用いられるのに対し、「かおり」のほうは、もっぱらよい匂いについてのみ用いられる。こんなところから、「におい」より「かおり」のほうが上品な表現だと受け止める人が多いのではないか。

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ユニークな言語学者野口恵子女史が、敬語の乱れの一例として「を入れ」言葉を取り上げている。「を入れ」とは、「有権者の皆さんとお会いをいたしました」のように、「お会いいたしました」とすべきところを、わざわざ「を」を入れて「お会いをいたしました」と表現する類の言い方だ。

言語学者野口恵子女史の著作「かなり気がかりな日本語」(集英社新書)を読んで裨益させられるところが多かった。題名から連想されるように、日本語の乱れを論じたものだが、女史はそれを単なる愚痴に終わらせずに、個々の実例を丹念に分析することによって、日本語の乱れの背景に法則性のようなものを追求しようとしている。そこのところが、筆者にはすがすがしく感じられた。

小学生高学年から中学生時代にかけての少女たちが、自分をさして「ぼく」といったり、わざわざ男の子のように乱暴な言葉遣いをすることがある。これは世の親たちにとって、よほどショッキングなことであるらしい。新聞の投書欄には、自分の娘が男の子のような言葉遣いをするといって、嘆き悲しむ趣旨の記事がしょっちゅう見受けられる。

日本の演歌を聞いていて、女性歌手向けに作られた歌を、男性歌手が歌うと異様に聞こえるだろう。たとえばかつて藤圭子が歌った「夢は夜ひらく」を鶴田浩二が歌ったら、聞くものは皆ずっこけるに違いない。

標準語と方言

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日本語に標準語という概念が成立するのは明治以降のことである。それは日本を近代的な国民国家として確立したいとする体制側の強固な意志に基づいていた。明治20年代以降、義務教育のなかで、この標準的な日本語が生徒に教え込まれ、国民は共通の言語を話すという点でも、均一な民族なのだという確信が強められていった。

万葉仮名

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万葉仮名とは、漢字の持つ意味の部分を切り捨てて、もっららその音の部分を活用し、日本語の音韻を書き表すために用いられるようになったものである。日本語にカタカナやひらがなが成立する以前には、もっぱらこの万葉仮名が日本語固有の音韻を書きあわす唯一の手段だった。

日本人の祖先が始めて漢字に接したとき、彼らはそれをもとの音に似せて発音したであろう。なにしろ漢字は中国という外国の言葉であり、日本語とは全く異なった原理に立つ言葉だから、現在の日本人が英語を英語らしく表現しようとするのと同じく、漢字を外国語として表現しようとしたに違いない。日本人が漢字を日本化し、漢字を用いて日本語を表現できるようになるには、長い時間が必要だった。

日本に漢字が伝わったのは、古事記によれば、百済から渡来した和邇(王仁)が論語十巻、千字文一巻を応神天皇に献じたのが始まりだということになっている。そうとすれば、四世紀か五世紀の頃ということになるが、古事記のこの記述は現在では信頼できないとされている。というのも千字文が書かれたのは、六世紀のことだからである。

日本語における漢字の読み方には大きく分けて「呉音」と「漢音」の二種類がある。たとえば「行」という字は「ぎゃう(ぎょう)」、「かう(こう)」、「正」の字は「しゃう(しょう)」、「せい」、「米」の字は「まい」、「べい」といった具合に、どの漢字にも二組の読み方がある。前者が呉音、後者が漢音と呼ばれるものである。

フンボルトに始まる西洋の言語形態学では、世界の言語を、孤立語、膠着語、屈折語に分類している。これによれば日本語は、膠着語の部類に入る。

最近の若い人は、「それでは座らさせていただきながら、ご説明を申し上げさせていただきたいと思います。」などという言い方をする。筆者などは「座って説明致します」で十分丁寧な言い方だと思っているので、こういう言い方は非常にくどく聞こえる。そのうえ、文法上は「座らせて」というべきところを「さ」を加えて、「座らさせて」といっている。くどさもここまでくれば笑えない。

一時期、「ら抜き言葉」に対して非難が沸き起こったことがあった。本来「食べられる」というべきところを、今時の若者は「食べれる」という具合に「ら」を抜いていう、それが耳障りだと、主に年配のものから苦情が呈せられたのである。この現象をとりあげ、日本語の乱れを嘆く向きも多かったものだ。

「あなた」とはやさしい響きのする言葉だ。いまでは話の相手方に呼びかけるときの呼称、あるいは二人称代名詞としてもっともよく使われている。

前稿では日本語の人称表現が持つ特殊な性格について述べた。ここではその人称表現、とりわけ人称代名詞がどのような歴史的変遷をたどってきたか、確認しておきたい。

ヨーロッパ言語はどの民族の言葉でも、人称にかかわる表現は、長い歴史を通じてほとんど変わることがない。英語では一人称代名詞は「アイ」 というが、これは英語が独立した言語として成立して以来変わっていない。フランス語の「ジュ」、ロシア語の「ヤー」も同様である。

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