日本神話における南方的要素
日本民族の起源については、さまざまな説がある。もっとも有力なのは、ユーラシア大陸から渡来した人々に起源を求めるもので、北方起源説と呼ばれている。遺伝学上、文化人類学上多くの傍証があり、首肯しやすい説だ。しかし、この説のみを以ては割り切れぬ部分があるため、一部南方起源の民族との混交も説かれる。柳田国男は著書「海上の道」において、日本人の祖先とその文化が、海上の道を通って南方からやってきたと、熱心に説いた。
日本民族の起源については、さまざまな説がある。もっとも有力なのは、ユーラシア大陸から渡来した人々に起源を求めるもので、北方起源説と呼ばれている。遺伝学上、文化人類学上多くの傍証があり、首肯しやすい説だ。しかし、この説のみを以ては割り切れぬ部分があるため、一部南方起源の民族との混交も説かれる。柳田国男は著書「海上の道」において、日本人の祖先とその文化が、海上の道を通って南方からやってきたと、熱心に説いた。
シャーマニズムは、シベリアから東南アジアにかけての広範な地域に見られる。いづれもの地域のシャーマニズムも、霊媒的な能力を持った巫者(シャーマン)を中心に、現世とあの世との交流を通じて、死者との対話や未来の予見などを図ろうとする、原始的な宗教意識の体系である。
日本神話におけるスサノオの姿は、一方で荒ぶる神として悪行を働くかと思えば、他方では八岐大蛇退治を始め善神としての側面も併せ有し、多義的で複雑な相に描かれている。そこで、スサノオの性格をめぐってさまざまな議論がなされてきた。本居宣長などは、スサノオの悪性はイザナギの禊祓いが不十分で、黄泉の穢れが残ったまま出生したことに原因があるとし、解除をきっかけに穢悪が除かれ、清浄に立ち返ったのだと解釈した。これは、善神としてのスサノオが本来の姿であり、荒ぶる神としてのスサノオは、不完全な姿だという議論である。
日本神話におけるオオクニヌシの存在感は、スサノオと並んで大きなものがある。概していえば、日本神話は、天上の世界たる高天原と地上の世界たる葦原の中つ国との間の、対立と連続の相のもとで展開していくのだが、高天原がそれ自体として描かれることは少なく、殆どは葦原中国を舞台にしている。ゼウスやヘラ、ヘパイストスなどがオリンポスにおいて様々な行為を繰り広げるギリシャ神話などとは、大いに異なるところである。オオクニヌシは、この葦原中国を豊かな土地に作り変えた主人公として、日本神話のなかでは特別な存在なのである。
異形の神スクナヒコナは、日本神話に登場する神々の中でも、とりわけて異彩を放っている。日本神話において、神というものは本来、高天原という天上の世界との間の垂直軸において語られるものなのに、この神は海の彼方にある常世の国から小さな舟に乗って現れた。また、オオクニヌシのパートナーとなって国づくりを行い、一段落すると、粟の茎に跳ね飛ばされるようにして、身を躍らせ、常世の国に帰っていった。
天孫降臨に先立つ葦原中国の平定は「ことむけ」と呼ばれている。「ことむけ」とは、言葉で説得して服従させるのが原義であるが、記紀においては、なかなかまつろわぬ国津神たちに対して、力を用いて服従させるさまが描かれている。しかし、その様子は血なまぐさいものでなく、牧歌的でおおらかな雰囲気に満ちている。
日本神話には、高天原と葦原中国との間の垂直軸の対立と、スクナヒコナの神話に見られるような、あちらの世界とこちらの世界との水平軸の対立があり、この両者が絡み合って、全体としての神話の構造が出来上がっている。だがこの両者は、織物の縦糸と横糸のように、相互依存的な関係にあるわけではなく、中心となるのはあくまで垂直軸である。
東京各地の祭りでは、ほとんどどこでも猿田彦が登場して、神幸祭の行列を先導している。長い鼻と赤ら顔の天狗の面をかぶり、一枚歯の高下駄をはき、色あでやかな衣装をまとったその姿は、行列の人気者である。いつの頃から猿田彦が天狗となり、神々の先導役を勤めるようになったか、その鍵は天孫降臨神話の中にある。
天孫降臨後のニニギの次の世代以降の神話は、地上と海原を舞台に展開する。もはや、高天原の世界との垂直軸の話が語られることはなく、水平軸の話が続く。それにともない、神話の南方起源と思われる部分が随所に見られるようになる。
日本の神話は、神武天皇以降人代に入る。最初の人皇とされる神武は、天孫の直系の子孫として、また大和王権の創立者として、わが国の歴史においては、巨大な存在といえるのであるが、その事跡をめぐっては謎が多く、後世の人々の想像力を駆り立ててきた。
ヤマトタケル(日本武尊)の物語は、記紀の説話中、独特の色合いを帯びている。それは基本的には、英雄の物語なのであるが、スサノオやカムヤマトイワレヒコのような万能の英雄としてではなく、悲劇的な英雄として、主人公を描いている。古事記には、ヤマトタケルが父景行天皇から不信の念を抱かれ、征西、東征と目覚しい勲功を立てながら、最後には父にまみえることを得ないままに、倒れるさまが描かれている。ある意味で、義経の悲劇に通ずるところがある。
日本の神社の中でも、もっとも多くの末社を抱え、規模が大きいとされる八幡神社は、応神天皇とその母君神功皇后を祭神として祀っている。昔から武運の神とされ、源頼朝はじめ武将たちの篤い信仰を集めてきた。また、蒙古襲来や外国との戦争の際には、国家鎮護の切り札ともなってきた。その背景には、両神とりわけ神功皇后の業績に対する、民衆の畏怖と尊敬がある。
古事記には、男女の性交や女性器への言及など、性的な表現があちこちに散りばめられている。特に神代の場面に、頻出するのであるが、それらを読んでも淫猥な感じは受けず、むしろほほえましいとの印象を抱く。これは、古代の日本人が、性というものに対して、大らかであったことの表れであるのかもしれない。
日本神話は、八世紀初頭に成立した古事記、日本書紀を中核にして、諸国の風土記の記述などを包み込んだ形で今日に伝えられている。日本の国の成り立ちと神々の系譜、そして天皇による支配の正統性を、きわめて体系的に描いたものである。世界中にある神話の中でも、イデオロギー性の強いものといえるが、同時に日本民族の世界観の原点というべきものが、色濃く反映されてもいる。
万葉集全二十巻の冒頭を飾るものは、雄略天皇の御製歌とされるものである。万葉集の編者が雄略天皇の歌を以て、冒頭を飾るに相応しいと考えたのには、それなりの理由があったのだろう。この天皇には、多くの伝承歌が結びついて伝わっており、いわば日本古代のおおらかな気分が、この天皇のうちに体現されているとも思えるのだ。
鬼と聞いて現代人が思い浮かべるのは、まず節分の鬼であろう。二本の角を生やし、髪は赤茶けた巻き毛で、口には牙が生え、トラの皮の褌を締めている。これが春の訪れとともにやってきて、人間たちに悪さをするというので、人びとは「鬼は外」と叫びながら、厄除けの豆を投げつけて鬼を退散させ、自分たちの無事を祈るのである。
鬼の話の中でも、古来もっとも人口に膾炙したのは大江山の酒呑童子の話だろう。能の曲目にも取り上げられ、お伽草紙をはじめ民話の中にも類似の話は多い。それらの話のテーマになっているのは人を食う鬼であり、その鬼を源頼光のような英雄が退治するというのが大方に共通する筋書きである。
能「安達が原」は人食いの鬼婆を題材にした作品である。那智の東光坊の阿闍梨裕慶一行が山伏姿になって東国行脚に出かけ、陸奥の安達が原に差し掛かったとき、老婆の小屋に立寄って一夜の宿を借りる。老婆はもてなしのためにと裏山に薪を採りに出かけるが、そのさい奥の部屋を決してのぞいてはぬらぬと言い残す。裕慶らが好奇心からその部屋をのぞいたところ、そこには食われてしまった人々の残骸が累々と重なっていたというストーリーである。
瘤取り爺さんの話は日本の昔話の中でももっともよく語られたものである。顔に大きな瘤のある爺さんが山の中で一夜を明かすと鬼の集団が現れて宴会の踊りを始める、爺さんがつられて一緒に踊ると、鬼はいたく感心し、また来るようにといって、質物に爺さんの瘤をとった。この話を聞いた隣の爺さんは、自分も瘤を取ってもらおうと思い鬼のところに出かけるが、うまく踊ることができずに鬼をがっかりさせる、そのうえもう来ないでもいいといわれて、質物の瘤までつけられてしまうという話である。
天狗といえば、鬼や山姥とならんで日本の妖怪変化の代表格といえる。天狗を主題にした物語や絵ときものが古来夥しく作られてきたことからも、それが我が民族の想像力にいかに深く根ざしてきたかがわかる。中でも能には、天狗を主人公にしたものがいくつもあり、いずれも勇壮な立ち居振る舞いや痛快な筋運びが人びとの人気を博してきた。