日本語はどこからきたか? 日本人の起源とともに、日本語の起源もまた、学者たちはもとより多くの人々の関心の的となってきた。日本人の祖先については、人類学的な研究や神話などの文化に関わる研究を通じて、単一の民族から成りたったのではなく、南方系と北方系の混交によって生じたとする説が有力である。その混交の過程についても、ある程度解明が進みつつあるようだ。一方、日本語の起源については、諸説紛々として、いまだに議論が整理されていない。
大方の共通認識としては、日本語はウラル・アルタイ系の言語に分類されるらしい。少なくとも、一部の説がいうような、孤立した言語ではないらしい。しかし、ウラル・アルタイ系と一口に言っても、それを構成する諸言語の関係は非常に複雑で、相互を系統的に位置づけることなど、至難の業らしい。この点、インド・ヨーロッパ語といわれている諸言語は、人間にとって基本となるものの名や、動作を表す言葉に共通点があり、それを手がかりにして、いくつかの言語を共通の祖語に遡らせるようなこともできるという。それに比べて、ウラル・アルタイ系言語は、研究の手がかりさえ見つかっていない。
一時期、大野晋という学者が、日本語がタミル語から来たという説を発表して論議を呼んだ。タミル語とは、インド南部やスリランカに暮らす、ドラヴィダ系の民族の言葉で、やはり、ウラル・アルタイ系に属する。大野は言葉の研究を、南方との文化交流と関連づけながら論じ、日本人の民族の基層とともに、言語の基層も南方起源であるとした。素人には興味深い視点であったが、殆どの言語学者は黙殺をもって応えた。
言語学者たちが最も熱心に研究しているのは、日本語と朝鮮語の関係である。朝鮮語もウラル・アルタイ系言語に属し、日本語とは共通点が多いことに加え、日本と朝鮮とは、歴史的・文化的に密接な関係があったからである。
ウラル・アルタイ系言語とは、フンボルトが唱え、ロマン・ヤコブソンが追認したように、膠着語に分類される。膠着語とは、名詞や動詞などの単語に接頭辞辞や接尾辞を結びつけて、単語同士の文法関係を表す言葉とされる。これに対して、印欧語は屈折語とされ、中国語は孤立語と分類される。
日本語と朝鮮語は、この膠着語の特徴をともに有し、名詞や動詞などの単語を、助詞や助動詞で結び、単語の間の文法関係を表している。統辞論的観点から見て、文法や文章構造に著しい共通点がある。
たとえば、「私は学生であります」を、朝鮮語では次のように言う。
저는 학생 입니다
チョ(私)ヌン(は)ハクセン(学生)イム(であり)ニダ(ます)
また、「僕は彼女にプレゼントをおくります」は、次のようになる。
나는 그녀에게 선물을 보냅니다
ナ(ぼく)ヌン(は)クニョ(彼女)エケ(に)ソンムル(プレゼント)ウル(を)ポネ(おくり)ニダ(ます)
ご覧のように、日本語と全く変わらない語順である。これは表層の例にすぎないが、こんな様を見ると、筆者のような俄言語学者は、両言語の親縁性を、ただちに直感してしまうのである。日本語と朝鮮語とは、兄弟語ではないかと。
ところが、統辞論的な類似性を離れると、とたんに両言語は似ていない部分ばかりが目につく。一般に、言語間の親縁関係は、基本的な言葉の共通性に残っているものなのであるが、日本語と朝鮮語とでは、動詞や助詞などから、基本的な名詞に至るまで、ほとんど共通するところがないという。西洋言語学の立場からすれば、とても共通の祖語から分かれたものとはいえない。
こんな事情から、日本語と朝鮮語との間に橋渡しをしようとする努力は、いまだ報われていない。この先報われるかどうかも、定かではない。日本語の起源を巡っては、まだまだ謎が多いということらしい。
関連リンク: 日本語を語る
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