山部赤人には、恋の歌もいくつかある。それらの歌が、誰にあてて書かれたものかはわからないが、中には相聞のやりとりの歌も混じっていて、色めかしい雰囲気の歌ばかりである。赤人は、叙景の中に人間のぬくもりを詠みこむことに長けていたと同時に、人間の心のときめきを表現することにもぬきんでていた。
まず、万葉集巻八から、赤人の恋の歌四首を取り上げてみよう。
―山部宿禰赤人が歌四首
春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)
あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(1425)
我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば(1426)
明日よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ(1427)
「春の野に」の歌は、赤人の恋の歌として、あまりにも有名な作品である。それ故、様々な解釈もなされてきた。中には、これは春の気分に浮かれるあまり、野原で寝てしまったことよと、春を強調するに過ぎないとする、うがった見方もある。
アララギ派の歌人山本憲吉は、これは恋愛の心を詠ったもので、一夜寝たのも無論女の家であると断定している。筆者にもそのように思われる。一首を素直に詠めば、誰しもそう思うであろう。また、そう読むことによって、この歌の趣も深まると思うのである。その女が誰かはわからぬが、そんなことを抜きにして、色めいたあでやかな歌だといえよう。
「あしひきの」の歌も、山桜が日ごと咲きひろがる様子に、春の訪れの喜びを感じ、そこに自然と女を思う気持ちが湧き出ている。春とは、不思議な季節なのだ。
「我が背子に」の歌は、赤人が友人に宛てて贈ったのだという説が有力である。だが、歌の趣旨からして、これは女が赤人にあてた歌ではないかという説もある。背子という言葉は、通常、女が男に向かっていう言葉だからだ。この歌の次にある「明日よりは」の歌は、女の呼びかけに答えて赤人が詠ったのであろうとも解釈される。
あなたとともに、春の気配がいっぱいに広がる野原に出かけていって、一緒に春菜を摘もうと思っていたのに、昨日も今日も雪が降り続いて、なかなかその思いがかなわない。赤人のこの残念な思いは、素敵なデートを何かの事情で邪魔された現代人にも通じるところがある。
同じく、万葉集巻八は、赤人の次の歌を載せている。
―山部宿禰赤人が歌一首
恋しけば形見にせむと我が屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり(1471)
これは、藤が咲いたのをみて、女の面影を思い出した歌である。あなたの形見に植えた藤が今咲いたよ、と詠っているのである。その女は今、どうしているのだろう。それは、歌からはわからない。だが、藤の花に寄せて、恋心を詠うところは、いかのも赤人らしい。
この歌などは、万葉の世界を超えて、古今集の歌いぶりにもつながる歌だといえる。
赤人は、恋を詠った長歌も残している。万葉集巻三にある、次の歌がそうだ。
―山部宿禰赤人が春日野に登りてよめる歌一首、また短歌
春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 御笠の山に
朝さらず 雲居たなびき 容鳥(かほとり)の 間なく屡(しば)鳴く
雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに
昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと
立ちて居て 思ひぞ吾がする 逢はぬ子故に(372)
反歌
高座の三笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも(373)
内容からみて、これは片恋の歌である。赤人は、いつ、誰に対して片恋をしたのだろうか。儀礼歌や旅の途中の叙景歌では、おおらかにのびのびと詠った赤人も、片恋を詠うときには、このように、臆病なほどの繊細さを発揮する。
「昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと」とは、人麻呂の修辞法を思い出させる。赤人が自らの感情をもてあまして、照れ隠しに使った言葉のようにも受け取れる。しかして、会うことができないあなたのために、わたしの心はこんなにも恋焦がれていますと結ぶ。しおらしい限りというべきではないか。
この恋が、果たして実ったのかどうか、それは永遠の謎として残されている。
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