元興三年(404)、陶淵明は母の喪があけたのを契機に再び仕官し、劉裕の幕下に入った。その年の三月、劉裕は桓玄を破って建康を回復し、鎮軍将軍となっていたのである。
陶淵明はその後、劉牢之の息子劉敬宣の参軍(幕僚)となる。劉敬宣は劉裕と協力して父親の敵をとったまではよかったが、忽然として職を辞した。劉裕あるいはその盟友劉毅と意見が対立したともいわれる。
陶淵明のこの詩は、元興四年(405)劉敬宣の使者として建康に使いし、錢溪を経たときの作である。陶淵明は、劉敬宣の辞表を託されていたのかもしれない。
乙巳歳三月爲建威參軍使都經錢溪
我不踐斯境 我 斯の境を踐まざりしより
歳月好已積 歳月 好だ已に積めり
晨夕看山川 晨夕 山川を看るに
事事悉如昔 事事 悉く昔の如し
微雨洗高林 微雨 高林を洗ひ
清飆矯雲翮 清飆 雲翮を矯ぐ
眷彼品物存 彼の品物の存するを眷るに
義風都未隔 義風 都て未だ隔たらず
このあたりを遠ざかってから、ずいぶんと年月が流れたが、朝夕見る山川は、ことごとく昔のままだ。
小雨が林に降り、つむじ風が舞い上がる、山川林鳥の変わらず存在しているのを見ると、正義のいまだ存しているのがわかる。
伊余何爲者 伊れ 余 何爲る者ぞ
勉勵從茲役 勉勵して茲の役に從ふ
一形似有制 一形 制せらるる有るに似たるも
素襟不可易 素襟 易ふべからず
園田日夢想 園田 日に夢想す
安得久離析 安んぞ久しく離析するを得んや
終懷在壑舟 終懷 壑舟にあり
諒哉宜霜柏 諒なる哉 霜柏を宜しとするは
ところがこの自分ときては、いやいやながらこんな仕事に従事している。身体は俗事に拘束されてはいても、心まではそうはいかぬ。
日々に思うのは田園での生活、いつまでも離れたままではおれぬ、本当の思いは谷間にひっそりと浮かぶ舟にある、その舟や霜柏のように孤高な生活に戻りたいものだ。
この詩の中で、陶淵明は俗事に従ってはいても、自分の本当の志は別のところにあるのだと、歌っている。
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