陶淵明は、田園の一角に隠棲したとはいえ、世間との交渉を全く断ったわけではなかった。時には、役人たちとも交わり、詩のやりとりなどをしている。
「五月旦作、和戴主簿」は義煕九年(413)に作ったものだが、おそらく官僚たちとの社交の席上で歌ったものだろうとされてきた。表現に社交辞令らしい取り澄ましたところがあるからだが、そこに歌われている精神は、隠遁生活の気ままさを謳歌したものである。
夏の気配が横溢する季節の描写と、自由な精神との取り合わせが、一編に新鮮な雰囲気をもたらしている。
和戴主簿
虚舟縱逸棹 虚舟 逸棹を縱にすれば
回復遂無窮 回復 遂に窮り無し
發歳始俛仰 發歳 始めて俛仰し
星紀奄將中 星紀 奄ち將に中ばならんとす
明兩萃時物 明兩 時物に萃(あつま)り
北林榮且豐 北林 榮え且つ豐かなり
神淵寫時雨 神淵 時雨を寫ぎ
晨色奏景風 晨色 景風を奏す
から船も気ままに漕いでいると、どこまでもいってしまうものだ、年があけていくばくもないうちに、星の位置は一年の半ばまできてしまった、夏の時候は万物にそそぎ、北林も豊かに栄えている、天の淵は恵みの雨を降らし、朝の景色には夏の風が吹き渡る(發歳は年の初め、俛仰は瞬く間の間、星紀は星の位置、明兩は夏の気候、景風は夏の風)
既來孰不去 既に來れば 孰か去らざらん
人理固有終 人の理 固より終あり
居常待其盡 常に居て其の盡くるを待たん
曲肱豈傷沖 肱を曲げて豈に沖を傷(やぶ)らんや
遷化或夷險 遷化 或は夷險あるも
肆志無窊隆 志を肆にして窊隆無し
即事如已高 即事 如し已に高からば
何必升華嵩 何ぞ必ずしも華嵩に升らん
この世に生まれてきたからには、いつかは去る、人の寿命には限りがある、貧乏生活をしながらその尽きるのを待とう、肘を枕にして道から外れるようなことがあってはならない、
人の一生の間には浮き沈みもあるが、志を肆にしていれば動揺することもない、日々の生活がこのように志高いものであれば、わざわざ仙人になろうとすることもないのだ(人理は人の一生、居常は貧乏生活をすること、曲肱は肘を曲げて枕とすること、沖は人の道、遷化は人の一生の変化、夷險は浮き沈み、窊隆は動揺、即事は日々の生活、華嵩は華山と嵩山すなわち仙人の居るところ)
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