阮籍は竹林の七賢の一人であり、数々の奇行で知られるとともに、中国の詩歌史上、陶淵明以前のもっとも優れた詩人とされている。
魏晋の政権交代期前後に、竹林で清談にふけった者たちがいた。後漢の時代に、宦官の政治に反発して清議をなすことが流行ったが、竹林の清談は清議と異なり、政治を論ぜず老荘的な哲学を論じた。その中で、代表的な人々を七賢と呼んだのである。
「晋書・巻四十九・阮籍伝」に次のような一節がある。「 籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之」(籍又能く青白眼を為す、禮俗之士を見れば、白眼を以て之に對す。)気の合った友人と会うと「青目」つまり普通の目で迎え、いやな人に会うと白目を向いたとあるから、好き嫌いを露骨に態度に表す人物だったらしい。人を白眼視するというのは、ここから出ている。
阮籍は碁を打っているときに母親の死の知らせを聞いたが、そのまま碁を打ち続け、打ち終わると酒を三升飲んで、数升の血を吐いたといわれる。碁打ちは親の死に目に会えないとは、ここから出ている。
このように、阮籍は非常に変わった性格の人物だったらしい。親の服喪中は酒食をしないというのが、当時の中国のしきたりだったが、阮籍は肉を食らい酒を飲み続けた。それをとらえて言いがかりをつけ、弾劾するものがあったが、阮籍は日頃やせ衰えており、肉を食うのは滋養を取るためだといって、弾劾をのがれた。
阮籍が常に酒にひたり、その挙動が世人の目に異様に映ったのは、保身のためにわざとそうしたのだという見方もある。魏の政権の中で司馬氏が台頭し、権力の交代が進む世にあっては、いつ何時政争に巻き込まれて命を落さないとも限らなかった。だから、阮籍は佯狂を装うことによって危険から距離を置いたのだともいわれている。
阮籍には詠懐詩と題するものが数多くある。いづれも内に秘めた志を歌ったもので、阮籍の隠れた思いがよく伝わる作品群である。ここでは、その一つを取り上げてみよう。
詠懐詩
夜中不能寐 夜中 寐(い)ぬる能はず
起坐弾鳴琴 起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑒明月 薄帷に明月鑒(て)り
清風吹我襟 清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野 孤鴻 外野に號(さけ)び
朔鳥鳴北林 朔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見 徘徊して 将に何をか見る
憂思独傷心 憂思して独り心を傷ましむ
深夜を迎えたというのに眠ることができない、床より出て座して琴を弾く、帳には名月が影を落とし、涼しい風が我が襟を吹く
孤鴻は外野に叫び、朔鳥は北林に鳴く、その声に誘われてあたりをうろうろと歩き回っては、悲しい思いにふけるのだ
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