祭文とは儀式にあたって読み上げられる文章である。原則として散文でつづられた。雨乞いなどの際に作られることもあるが、多くは葬儀にあたって読み上げられたようである。
死者を悼んで読まれる祭文は、無論他者の功績等をたたえるのが目的だ。文選にはその種の祭文がいくつか載せられている。陶淵明も妹のために祭文を作っている。
だが、陶淵明は自分自身のためにも祭文を作った。しかも韻文の形式を用いてである。先の擬挽歌詩と同様、前例をみないユニークな試みだったといえる。
擬挽歌詩の制作日時は確実なことがわかっていないが、自祭文は丁卯の年、すなわち陶淵明が死んだ年に作られている。だからこれは、死期を自覚した陶淵明が、自分の生き方を振り返り、なかばフィクションを交えながら作ったものなのかもしれない。
全体は78句からなる長編であり、大きくわけて、6つの部分からなる。古風にしたがってまとめ、一句四言を原則として脚韻を踏んでいる。ここでは、それぞれの部分に区分けして、順次鑑賞してみたいと思う。
(死と納棺)
嵗惟丁卯 律中無射 嵗は惟れ丁卯 律は無射に中る
天寒夜長 風氣蕭索 天寒く夜長く 風氣蕭索たり
鴻雁于征 草木黃落 鴻雁于に征き 草木黃落す
陶子将辭逆旅之舘 陶子将に逆旅之舘を辭し
永歸於本宅 永しへに本宅に歸らんとす
故人悽其相悲 故人悽として其れ相ひ悲しみ
同祖行於今夕 同に今夕に行を祖す
羞以嘉蔬薦以清酌 羞ふるに嘉蔬を以てし薦むるに清酌を以てす
候顏已冥 聆音愈漠 顏を候へば已に冥く 音を聆けば愈いよ漠たり
鳴呼哀哉 ああ哀しい哉
年はあたかも丁卯、季節は中秋の九月、天は寒く夜は長く、風の気配は物寂しい。鴻雁は遠く旅立ち、草木は枯れ落ちた。(丁卯の年は陶淵明63歳にあたる、無射は音階12律の11番目、季節としては9月にあたる)
陶子は仮住まいたるこの世を辞して、永久に本宅たるあの世へと帰る。知人たちは別れを悲しみ、今夕陶子の野辺送りを見送りにきた。(陶子は陶淵明自身のこと)
供え物には野の菜、また澄んだ酒、陶子は棺の中から人々の顔をうかがおうとするが、眼前は暗くなって定かに見えぬ、声を聞こうと思っても耳は遠くなるばかり、ああ、悲しいことだ。
(生前の貧乏暮らしを振り返る)
茫茫大塊 悠悠高旻 茫茫たる大塊 悠悠たる高旻
是生萬物 余得為人 是に萬物を生じ 余も人たるを得たり
自余為人 逢運之貧 余 人と為りてより 運の貧しきに逢ふ
簞瓢屢罄 絺綌冬陳 簞瓢屢しば罄き 絺綌冬に陳ぬ
含歡谷汲 行歌負薪 歡びを含んで谷に汲み 行歌して薪を負ふ
翳翳柴門 事我宵晨 翳翳たる柴門 我が宵晨を事とす
果てしない大地、はるかな空、この世界は万物をはぐくみ、私も人として生まれてきた。(大塊:大地、高旻:天空)
生まれて以来貧乏暮らしが続き、米びつはたびたび空となり、夏に着る薄い着物を冬に着た(簞瓢:米を入れる器、絺綌:薄絹の衣)
だが、人里はなれたさびしい生活を好み、谷の水を汲んでは、薪を背負って歌い歩いた、柴の戸を閉ざし、朝夕ひっそりと暮らしたものだ。
(躬耕と琴書の穏やかな生活)
春秋代謝 有務中園 春秋 代謝し 中園に務め有り
載耘載耔 迺育迺繁 載ち耘り載ち耔かへば 迺ち育ち迺ち繁る
欣以素牘 和以七絃 欣ぶに素牘を以てし 和するに七絃を以てす
冬曝其日 夏濯其泉 冬は其の日に曝し 夏は其の泉に濯ぐ
勤靡餘勞 心有常間 勤めては勞を餘すことなく 心に常間有り
樂天委分 以至百年 天を樂しみ分に委ね 以て百年に至る
春と秋がこもごも入れ替わり、田畑の作業にいそしんだ、耕したり、草を刈ったりするうち、まいた種はおのずから実を結ぶ(耘:草刈る、耔:つちかう)
楽しみに書を読み、歌にあわせて琴を弾く、冬は日向ぼっこをし、夏は泉で水浴びをする
作業に労をおしむことなく、心にはいつもゆとりがあった、天命を受け入れて己の分をわきまえ、100年ものあいだ生きてきたのだ
(我が人生の総決算)
惟此百年 夫人愛之 惟れ此の百年 夫の人之を愛しむ
懼彼無成 愒日惜時 彼の成ること無きを懼れ 日を愒り時を惜しむ
存為世珍 沒亦見思 存しては世の珍と為り 沒しても亦思はれんとす
嗟我獨邁 曾是異茲 嗟我獨り邁き 曾に是に異れり
寵非已榮 涅豈吾緇 寵は已が榮にあらず 涅も豈に吾を緇めんや
捽兀窮盧 酣飲賦詩 窮盧に捽兀として 酣飲して詩を賦す
そもそもこの100年間を、人は愛惜してやまない、なにか功績のないことを恐れ、日々をむさぼり、時を惜しむ
生きている間はひとかどの人物となり、死後も名声が残ることを願う、しかし、私はわが道をゆく、人とはまったく異なるのだ
栄達を栄誉と思わぬし、色が黒いからといって心まで黒くなっているわけではない、貧乏していても身を高く持し、酒を飲みながら詩を賦す楽しみがある。(涅:黒く染めること、野外の作業で色が黒くなることをさす、緇:くろむ、黒くする、捽兀:高くそびえるさま、窮盧:貧しい家、貧乏生活)
(埋葬)
識運知命 疇能罔眷 運を識り命を知るも 疇か能く眷りみることなからん
余今斯化 可以無恨 余今斯に化す 以て恨みなかるべし
壽涉百齡 身慕肥遁 壽 百齡に涉り 身 肥遁を慕ふ
從老得終 奚所復戀 老より終を得 奚の復た戀ふる所ぞ
寒暑逾邁 亡既異存 寒暑逾いよ邁き 亡は既に存と異なる
外姻晨來 良友宵奔 外姻晨に來り 良友宵に奔る
葬之中野 以安其魂 之を中野に葬り 以て其の魂を安んぜん
窅窅我行 蕭蕭墓門 窅窅たる我が行 蕭蕭たる墓門
奢耻宋臣 儉笑王孫 奢は宋臣に耻じ 儉は王孫を笑ふ
運命とわかっていながら、人は後を振り返って後悔せずにはいられない、だが私は死にあたって、何ら恨みとするところもない
100年ものあいだ生きてきて、身体はそろそろ引退することを欲している、老いから死へと移り行くにあたり、何の未練が残るだろうか
寒暑の移り変わりも、死んでしまえば生きているときとは違う、
親戚が朝にやってきて、友人たちが夕方駆けつける、そして私を野に葬り、魂を安らかに眠らせてくれる
はるかな死出の道、さびしげな墓の門、豪華すぎる葬儀は恥ずべきものだ、だが余りに倹約するのも見苦しい
(死後を歌う)
廓兮已滅 慨焉已遐 廓として已に滅し 慨として已に遐かなり
不封不樹 日月遂過 封せず樹せず 日月遂に過ぐ
匪貴前譽 孰重後歌 前譽を貴ぶにあらず 孰か後歌を重んぜん
人生實難 死如之何 人生實に難し 死 之を如何せん
鳴呼哀哉 ああ哀しい哉
空しくも身は既に滅び、遥かな昔を偲ぶと感慨深い、墓には盛り土もせず、目印の木も植えぬまま、時が過ぎてゆく、(封:盛り土をすること)
生前の名誉を求めぬ私だ、死後のことなどどうでもよい、人生とはむつかしいものだ、死んだからといってどうなるものでもない
ああ、悲しいことだ
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