陶淵明といえば、田園や隠逸、反俗といったイメージとともに、酒のイメージが欠かせない。酒を歌った中国の詩人としては、李太白と並んで双璧となすべきだろう。
陶淵明には、飲酒と題した一連の詩20篇のほかに、折に触れて酒を歌ったものが多い。己自身のために書いた挽歌の中でも、死ぬるにあたって一つだけ心残りなのは、生前十分に酒を飲むことが出来なかったことだとも、いってもいる。
飲酒二十首は、書かれた時期について諸説あるが、恐らく一気呵成に書いたものというよりは、折に触れて書き溜めたものを、ある時期に、一連のつながりあるものとして、序文を付してまとめたのであろう。
飲酒と題してはいるが、酒のことばかりを歌っているわけでもなく、酒に事寄せて己の感懐を歌ったものが多い。
飲酒二十首・序
余閑居寡歡 余閑居して歡び寡く
兼比夜已長 兼ねてこのごろ夜已に長し
偶有名酒 偶たま名酒あれば
無夕不飮 夕として飮まざる無し
顧影獨盡 影を顧みて獨り盡くし
忽焉復醉 忽焉として復た醉ふ
既醉之後 既に醉ひての後は
輒題數句自娯 輒ち數句を題して自から娯しむ
紙墨遂多 紙墨遂に多く
辭無詮次 辭に詮次無し
聊命故人書之 聊か故人に命じて之を書せしめ
以爲歡笑爾 以て歡笑と爲さんのみ
自分は閑居の身で喜びも少ないうえ、秋も深まったこの頃は夜も長い、そこで酒があれば、これを飲まない夜はない
自分の影を相手に独酌し、飲めばたちまち酔う、酔った後は、数句をひねり詩に仕立てて、自ら楽しむのだ
かくて書きちらしたものがたまってきたが、前後に脈絡があるわけでもない、友人に清書してもらい、笑いの種にでもしようと思う
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