人にとって生きる喜びはセックス、つまり男女の交わりに発する。人に限らずあらゆる生き物にとって、繁殖は己の存在を超えて種の保存につながるものだ。どんな生き物でも、それに自分の存在の殆どをかけて格闘している。植物もそうだ。動物もそうだ。これは2倍体として生まれたものの宿命のようなものなのだ。だから神の摂理は、生き物たちのために、生殖の営みに生きる喜びを与え給うたのだ。
人はセックスを通じて男女の親密な愛を育て上げ、その結晶として子どもを設け、その子どもを育てるための社会的な装置として家族というものを形成してきた。性愛と家族のあり方は、何も人に限ったことではない。だが、人の場合には、男女の性愛と子どもを育てあげる仕組みは、種としての人のあり方にとって決定的な意味を持っている。
人間を研究する学問は多岐にわたっている。その中で、男女の性愛と家族のあり方に関する学問も、文化人類学、あるいは社会人類学の一分野として発達してきている。
だが、男女のあり方と、家族やその社会へのかかわり方は、一つの学問領域に収めきれるほど単純なものではあるまい。
筆者は折につけて、日本人の性愛、婚姻、家族、そして男女のかかわりのあり方について様々な角度から考えてきた。ここでは、そんな筆者の思考の一端を紹介してみたいと思う。
本ブログ所収の「日本人の性愛、婚姻、家族」に関するエントリー
コメントする