「悪の華」 Les Fleurs du Mal はボードレ-ルが発表した唯一の韻文詩集である。だがそれは万巻の書にも匹敵するインパクトをもった。それほど、西洋の詩の歴史にとって、この詩集の持った影響力は巨大であった。この詩集は19世紀から20世紀にかけて、西洋に留まらず、世界中の詩人たちにインスピレーションを与え続けたのである。
「悪の華」の初版が出たのは1857年、時にボードレールは36歳であった。詩人としては遅いデヴュであった。だがボードレールが実際に詩を書き始めたのは20歳台始めのことであると思われる。それらの詩は24歳の年から断片的に発表されている。初期の詩は、インドに向かう旅行から着想を得たものが多い。
1845年10月、「レスボスの女たち」 Les Lesbiennes という題名で詩集の刊行を予告し、著者名としてボードレール・デュファイ Baudelaire Dufays と署名していたが、これは未完に終った。理由は明らかではないが、満足できる詩がまだそう多くは出来上がっていなかったことが原因だろうと思われる。
1848年11月、「冥府」 Les Limbes の題名で詩集の刊行を再予告したが、これも実現しなかった。だが1851年4月に、この総題のもとに、詩11篇を雑誌に発表している。
1855年6月、「悪の華」の題名のもとに、詩18篇を雑誌「両世界評論」に発表。これが今日見る「悪の華」の原型とされる。そして1857年6月「悪の華」初版が刊行されるのである。
「悪の華」初版は、序詩のほか100篇の詩を収めていた。うち52篇は未発表のものであった。この初版は、次のような構成のもとに詩を配列していた。
・Spleen et Idéal (憂愁と理想)
・Fleurs du mal (悪の華)
・Révolte (反逆)
・Le Vin (ワイン)
・La Mort (死)
これらの題名から、ボードレールの詩の雰囲気がイメージとして伝わってこよう。だが詩集の中にある6篇の詩について公序良俗違反を問われ、ついに詩集は出版禁止、ボードレール自身は300フランの罰金刑に処せられたのである。
1861年2月、ボードレールは初版から問題の6篇を削除、新たな詩32編を加えて再版を刊行した。これが今日流通している「悪の華」の決定版といえるものである。初版にあった5つの小題は6つに増やされ、Spleen et Idéal の後に Tableaux Parisiens (パリ光景)が加えられた。
ボードレールの死後、未発表のものなどを加えて、第三版ともいうべきものが刊行された。その際、再版で除かれた6篇の詩も、 Pieces Condamnees (受刑した諸篇)と題して収められた。
当ブログ所収のボードレールの詩INDEX
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