陶淵明「飲酒二十首」より其十六を読む。
飮酒其十六
少年罕人事 少年より人事罕にして
遊好在六經 遊好は六經に在り
行行向不惑 行き行きて不惑に向んとし
淹留遂無成 淹留して遂に成る無し
竟抱固窮節 竟に固窮の節を抱き
飢寒飽所更 飢寒は飽くまで更し所
敝廬交悲風 敝廬 悲風交ひ
荒草沒前庭 荒草 前庭を沒す
披褐守長夜 褐を披て長夜を守るに
晨雞不肯鳴 晨雞肯へて鳴かず
孟公不在茲 孟公 茲に在らず
終以翳吾情 終に以て吾が情を翳らしむ
少年の頃より世間のことにはうとく、好むところは六經にあった、だがもう40歳になろうというのに、ぐずぐずとして成果があがらない
いつも固い決心を抱き、飢えや寒さにも耐えてきた、粗末な家には非風が吹きかい、庭には雑草が生じ放題
ぼろをまとって長夜を明かしたが、鶏の鳴く声も聞こえない、ここにはあの孟公はいないのか、それを思うとやるせなくなる
固窮の節を抱いて清貧に甘んじ学業に励んできたが、目に見える成果も上がらないまま年をとってしまった、また長夜を明かしても鶏も鳴かぬのは、自分を顧みてくれる孟公のような人物がいないことを物語っているのか。陶淵明はそういって、ここでは珍しく弱気な側面を見せている
固窮の節とは、論語衛霊公篇にある言葉、「君子固より窮す、小人窮すれは斯に濫る」からとったのだろう。困窮しても節を曲げぬという意味である。
孟公は後漢の人、貧しい隠者にも眼をかけていたとされる。陶淵明は孟公がいないと語ることによって、自分を正当に評価するものがいないと嘆いているのである。
この詩には、隠棲のうちにありながら、世の中のことに全く無関心でもいられなかった陶淵明の複雑な境地がのぞいている。
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