陸游は南宋第一の詩人。宋が女真族の金によって侵略され、北土を失い江南によって南宋となったころ、その混乱に満ちた時代を生きた。中国が南北に分断された状況は、陶淵明の生きた南北朝時代と共通するものがあった。
そんな背景が働いたのか、陸游の陶淵明に寄せる思いには熱いものがあったようだ。陸游の詩には、世を憂えた悲憤慷慨調のものが多いのだが、自然を歌うこともあり、その際には陶淵明の影響が感じられる。
陸游もまた、陶淵明を直接題材にした詩を作っている。69歳の時のときの作「讀陶詩」は、その代表的なものである。
讀陶詩
我詩慕淵明 我が詩淵明を慕ふも
恨不造其微 恨むらくは其の微に造らざること
退歸亦已晚 退歸 亦た已に晚し
飲酒或庶幾 飲酒 或ひは庶幾(ちか)からん
雨餘鋤瓜壟 雨餘 瓜壟に鋤き
月下坐釣磯 月下 釣磯に坐す
千載無斯人 千載 斯の人無し
吾將誰與歸 吾將に誰とともにか歸らん
我が詩は陶淵明を慕うところだが、残念なことにその微妙さには及ばない、引退するのも淵明に比べて遅かったが、酒を飲むことにかけてはひけをとらぬかもしれぬ
雨後は畑を耕し、月下に釣り糸を垂れる、この人がいなくなってからはや1000年、自分は誰と歩みをともにすればよいのか
「退歸亦已晚」とは、陶淵明が41歳で引退したのに比べ、陸游自身は66歳まで仕官したことを自嘲して言っているのだろう。末尾の二句については、淵明の「貧士を詠ず其四」のなかにも、「從來將に千載たらんとするに 未だ復た斯の儔を見ず」という表現があり、やはり先人に己をなぞらえている。
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