山に漂うと考えられた死霊あるいは祖霊のうちでも、その荒ぶる霊としての恐ろしい姿が鬼としてイメージされた。その中でも、山姥は女の鬼として、通常の男の姿の鬼とは一風異なった雰囲気を醸し出している。安達が原に出没したとされる山姥は、通りがかる旅人をことごとく食らいつくす恐ろしい鬼であるが、その山姥の口が裂けたイメージは、あらゆるものを飲み込んで抱擁する母性のイメージをも感じさせる。
たとえば「食わず女房」に出てくる山姥は、上の口からも下の口からも、食えるものを次々とかき入れて食い尽くす。下の口が性的なものをイメージしていることはいうまでもない。それはあらゆるものを飲み込み、生み出す母性のイメージであっただろう。
山姥をテーマにした昔話には、さまざまなバリエーションがある。その一つに、牛方山姥という一群の物語がある。牛方が馬方になったり、鯖売りになったりと微細な差異はあるが、同じような構成の話が全国さまざまなところに伝わっている。大方次のような筋書きである。
牛方が牛に荷を積んで峠にさしかかると、山姥が現れてそれをよこせという。よこさなければ牛もお前も食ってしまうぞというので、牛方は積んでいた食い物の一部を投げる。山姥がそれを食う間に牛方は逃げようとするが、山姥はすぐに追いついてくる。牛方はひとつづつ投げては逃げ続けるが、ついに投げるものがなくなり、牛を置いて一人で逃げると、山姥はその牛を食ってなおも追いかけてくる。
この話のパターンを、宗教民俗学者の五来重はイザナキの冥界訪問神話と関連付けて解釈している。イザナキは黄泉国を訪ねた帰りにイザナミの遣わした黄泉醜女たちに追いかけられるが、黒鬘を投げつけるとそれが海老に変わり、醜女たちが食っている間に逃げ延びたという話である。
イザナキはその後、さまざまに智恵を働かして、イザナミの死霊に食われることを免れるのであるが、牛方山姥の話においても、牛方はさまざまに智恵を働かせて逃げ延び、最後には山姥を欺いて殺してしまう。
五来重はさらに、この話を峠の辺りにさまよう山の神に、供物を捧げて無事を祈ったという古来の風習を結びつけて解釈している。山姥の伝説とは別に鯖 大師の伝説というものが流布しているが、それは峠を越えようとするものに、山の神が通行料として鯖を要求するという内容のものである。鯖は仏教の行事の中では、施餓鬼のために施されるものであった。なぜ鯖なのかはわからぬが、鯖を与えることによって、餓鬼の祟りを逃れようとする心理が働いていたのであろう。
鯖大師とは、峠のあたりに大師の像を立て、それに鯖を供えることを内容としている。そうすることで、餓鬼ならぬ山の神の祟りを免れようとしたのであろう。
このように、牛方山姥の話は、人を食う恐ろしい鬼と、鯖を供えてその祟りを逃れようとした考えがどこかで結びついて成立したのではないか、五来重はそう推測する。
山姥をテーマにした昔話には、「山姥問答」という一群の説話もある。例えば次のような内容のものである。
猟師が山の中で焚き火をしていると山姥が現れる。猟師が「山姥は恐ろしい」と心の中で思うと、山姥は「お前は山姥が恐ろしいと思っているな」と言い当てる。「山姥に食われるのではないか」と思うと、「お前は山姥に食われるのではないかと恐れているな」と言い当てる。「どうしたら逃げられるだろうか」と思うと、「お前はどうしたら逃げられるかと考えているな」と言い当てる。
ここですっかり絶望した猟師がそのまま食われてしまうこともあるが、焚き火のそばにあったワッカをはじかせて火の粉を山姥に浴びせ、山姥が「人間というものは何を考えるかわからぬ」といって退散する話もある。
この山姥が童子の形に転化すると、「さとりのわっぱ」の話になる。
牛方山姥といい、山姥問答といい、山姥をテーマにしながら話の内容は次第に趣向を変えて、鯖大師に見られる施餓鬼の行事と結びついて交通安全の祈願を盛り込んだり、頓智話のような体裁にも発展している。その辺は、もともと民族の深層意識の中にあった祖霊への信仰が、昔話という形の中で、想像力という翼をともなって自由に飛翔していった証だととれないこともない。
関連リンク: 神話と伝承>鬼の話:昔話に見る日本の鬼
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