九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。
作者は屈原とされるが、異説もある。王逸は、屈原が懐王に追われて、沅湘地域に旅した際、土着の祭祀歌があまりに野卑だったので、優美なものに改作して与えたのだとする。同時に、その神に対する心情のうちに、自分の王に対する忠誠を寓意として歌いこんだともいう。
これに対して郭抹若は、寓意や進退とは関係なく、屈原若年の頃の、得意の時期の作品だと解説している。
楚辞・九歌から屈原作「湘夫人」(壺齋散人注)
帝子降兮北渚 帝子北渚に降(くだ)る
目眇眇兮愁予 目眇眇として予を愁へしむ
天帝の御子湘君が北の渚に下り給ふ、目路もはるかに眺めていると、私を悲しませるのです
嫋嫋兮秋風 嫋嫋たる秋風
洞庭波兮木葉下 洞庭波だって木葉下る
秋風がなよなよと吹き、洞庭の水は波立って、木の葉が落ちる
登白薠兮騁望 白薠に登って望みを騁せ
與佳期兮夕張 佳期を與(とも)にせんとして夕に張る
鳥何萃兮蘋中 鳥何ぞ蘋の中に萃(あつま)れる
罾何為兮木上 罾(あみ)何ぞ木の上に為せる
白いハマスゲに踏み乗って遠くを眺め、君との楽しい逢瀬のために夕べの準備をしましょう、それにしても何故、鳥が水草の中に集まり、魚の網が木の上にかけてあるのでしょう
沅有茝兮醴有蘭 沅に茝(し)有り醴に蘭有り
思公子兮未敢言 公子を思ひて未だ敢へて言はず
荒忽兮遠望 荒忽として遠望し
觀流水兮潺湲 流水の潺湲たるを觀る
麋何食兮庭中 麋何ぞ庭中に食ひ
蛟何為兮水裔 蛟何ぞ水裔に為す
沅水のほとりには茝(よろい草)があり、醴水のほとりには蘭草があります。この草のように香ばしい公子を思い慕いながら、まだ口に出していうことができません。心もうつろに遠望し、さらさらと流れる水を眺めていると、大鹿が何故か庭の草を食べ、水中に住むはずの大蛇が水辺にいます。
朝馳餘馬兮江臯 朝に餘が馬を江臯(かうかう)に馳せ
夕濟兮西澨 夕に西澨(せいぜい)に濟(わた)る
聞佳人兮召予 佳人の予を召すと聞き
將騰駕兮偕逝 將に騰駕して偕に逝かんとす
朝には馬を岸辺に走らせ、夕には西の水際を渡りました。君が私を召すと聞いて、ともに馬に乗っていこうと思うのです。
築室兮水中 室を水中に築き
葺之兮荷蓋 之を葺きて荷もて蓋(おほ)ふ
蓀壁兮紫壇 蓀(そん)の壁紫の壇
播芳椒兮成堂 芳椒を播(しい)て堂を成す
桂棟兮蘭橑 桂の棟蘭の橑(たるき)
辛夷楣兮葯房 辛夷の楣葯の房
お部屋を水中に築き、蓮の葉で屋根を葺き、アヤメの壁、紫の壇、香り高い山椒を播いた堂、桂の棟、蘭のタルキ、辛夷の梁げた、芍薬の香る部屋を設けましょう、
罔薜荔兮為帷 薜荔(へいれい)を罔(あ)みて帷と為し
擗蕙櫋兮既張 蕙を擗(さ)いて櫋(めん)とし既に張る
白玉兮為鎮 白玉を鎮と為し
疏石蘭兮為芳 石蘭を疏(し)いて芳と為し
芷葺兮荷屋 芷(し)もて荷屋に葺き
繚之兮杜衡 之に杜衡を繚(めぐ)らす
カズラを編んで帳にし、蕙草を裂いて幕を作り張ってみました、白玉を重石にし、石蘭を敷いて香りを振りまき、よろい草を蓮の葉の屋根に刺し、そのまわりに杜衡(あおい)を葺きました
合百草兮實庭 百草を合はせて庭に實(み)たし
建芳馨兮廡門 芳馨を建(つ)んで門を廡(おほ)ふ
九嶷繽兮並迎 九嶷(きうぎ)繽(ひん)として並び迎へ
靈之來兮如雲 靈の來ること雲の如し
さまざまな草を集めて庭に満たし、かぐわしい花を積んで門を覆いました、やがて九嶷山の神々が群がり来り、湘君の霊が雲のように降ってこられる
捐餘袂兮江中 餘が袂(へい)を江中に捐(す)て
遺餘褋兮醴浦 餘が褋(てふ)を醴浦(れいほ)に遺(す)て
搴汀洲兮杜若 汀洲の杜若を搴(と)り
將以遺兮遠者 將に以て遠き者に遺(おく)らんとす
時不可兮驟得 時は驟(しばしば)は得べからず
聊逍遙兮容與 聊く逍遙して容與せん
私の肌着を水中に捨て、褋(ひとえの肌着)を醴浦の水に捨て、中州の杜若を取って、遠くはなれた君に贈ろうと思います、君と会えるときはそう多くはありませんから、しばらくはここに逍遙して、のんびりとした時を過ごしましょう。
九歌には湘君、湘夫人と題する一対の歌がある。湘君、湘夫人については、諸説あるが、湘水を収める男女一対の神であるとするのが有力である。
湘夫人と題するこの歌は、男神を迎える女神の気持ちを歌ったものだと考えられる。
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