第二次世界大戦後、ソ連によってシベリアその他の強制収容所に抑留された日本人戦争捕虜の記録760000点が、モスクワの国立公文書館で見つかった。資料はカードの形になっており、一枚のカードにはひとりの人間に関するさまざまデータ(抑留日時、死亡時期、埋葬の場所など)が記されている。これらは1991年の日露間の協定に基づき、近く日本政府に送られるという。
日本政府の発表によれば、戦後ソ連に強制連行された日本人の数は560000人、うち53000人が現地で死んだ。このたびの戦争捕虜に関するデータは、それを上回るが、ロシア政府によれば、ひとりの人間に関して複数のカードが作成されている場合もあるので、捕虜の厳密な数はいまのところわからないということらしい。
日本政府はこれに先立って、消息不明の300人の日本人の記録を調べるようロシア政府に要望していたが、今回の資料の中から、そのうち20人のデータがみつかったという。
ソ連の強制収容所に連行された日本人の数は膨大なものだったにかかわらず、これまでその実態については、十分な研究がなされてきたとはいえない。筆者の父親も抑留された者の一人で、昭和21年に運良く帰国しているが、生前その折のことを詳しく語ることはなかった。ただ酒が入ったときなどには「異国の丘」を歌うのが好きで、歌うたびに涙を流していたことが印象に残っている。
今回の発見が、戦後の混乱期における、抑留された人々の未曾有の苦難に、新たな光をあてるきっかけになればと期待したい。
(上の写真は舞鶴港に帰還した日本人捕虜、共同通信社所有)
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