杜甫の五言律詩「房兵曹が胡馬の詩」(壺齋散人注)
胡馬大宛名 胡馬 大宛の名あり
鋒棱瘦骨成 鋒棱 瘦骨成る
竹批雙耳峻 竹批(う)ちて雙耳峻しく
風入四蹄輕 風入りて四蹄輕し
所向無空闊 向ふ所空闊を無にし
真堪托死生 真に死生を托するに堪へたり
驍騰有如此 驍騰 此くの如き有り
万里可橫行 万里 橫行すべし
西域からやってきたこの馬は大宛の名に恥じない、矛のように鋭い骨格がたくましい、二つの耳は竹を削いだようであり、四本の足は風に乗って軽やかだ
向かうところ空間が存在しないように俊敏だ、まことに生死を託するものがあるとすればこの馬のことだ、勇ましく躍動するそのさまは、世界中を自由に駆け回ることさえできる
杜甫30台初期の作。房兵曹がもっていた胡馬をたたえて歌ったもの。房兵曹が誰であるかは不祥だが、兵曹とあるからには軍人だったのだろう。その男が胡馬つまり西域から来た馬を持っていて、それがすばらしいものだった。そのすばらしさを飾らずに歌ったものだ。
関連サイト:
西域から持って来たそうですから、アラブ種の血が入ってる美しい駿馬や三彩陶馬のようなのを想像します。
話は飛びますが、日露戦争で負けたステッセル将軍が東郷元帥に贈った愛馬はもしかすると西域風の素晴らしい馬だったかも知れません。 やはり馬好きの東郷元帥はその馬を大事に飼い、ステッセルの名の一部を取り、「寿(す)号」 と名付けたそうです。 寿号は日本の馬匹改良に貢献したそうです。