シェイクスピアの偉大なところは、人間のもっともおぞましい側面を、それとなく広げて見せるところだ。
人間は神の子であるよりも、まず動物なのだ。神の子としては、慈悲や正義といったものが価値となるが、動物としては、そんなものは価値でもなんでもない。動物としての人間はたくましく生きなければならない。生きることに役立たない慈悲や正義など、何ほどのものでもない。
こうした見方に、シェイクスピア自身立っていたかどうかは、別の問題だ。ただシェイクスピアは、こうした人間のおぞましさを、そのあるがままの形で広げて見せるのだ。それはシェイクスピアの時代にまだ残っていた、ルネサンス精神のひとつの現われなのかもしれない。
ジョン王のなかでも、こうした場面はいくつか出てくる。ジョン王自身も、そんな野蛮な言葉を吐いている。坊主から金を巻き上げて、それを戦いの資源にしたいと思うジョン王は、フランスからイギリスへ舞い戻るに際して、ファルコンブリッジに次のように命令する。
ジョン王:さあ イングランドへ
一足先にまいれ
そしてわしらが到着する前に 坊主どもの袋をゆさぶり
とらわれの天使 溜め込んだ金を吐き出させろ
平和に超え太ったものの肉は
戦いに飢えたものが食うためにあるのだ
KING JOHN :[To the BASTARD] Cousin, away for England!
haste before:
And, ere our coming, see thou shake the bags
Of hoarding abbots; imprisoned angels
Set at liberty: the fat ribs of peace
Must by the hungry now be fed upon:
ここでは襲うべき相手が庶民ではなく、坊主であるところが味噌だ。坊主たちは宗教を売り物にして、民衆から莫大な富を集めている。だからそれを巻き上げて、戦いの資源にしよう。そう考える王は、地上の王として、草原の王ライオンと同じ地平にいる。
ジョン王はまた、自分にとっての躓きの石アーサーを何とかして片付けたい。アーサーがいるために、フランス側から余計な因縁を吹っかけられるからだ。
そこで腹心の部下で、アーサーの監視役を命じているヒューバートに対して、それとなくアーサーの暗殺を命じる。
ジョン王;ヒューバート ヒューバート ヒューバート
お前の目には見えぬのか
この若造の姿が いっておくが
こいつは我が行く手に立ちはだかる蛇
わしの行こうとするいたるところで
わしの行く手を阻むのじゃ わかるか?
お前はこの若造の見張り役じゃぞ
ヒューバート;よく見張った上で
粗相のないように心がけまする
ジョン王;死じゃ
ヒューバート;さて?
ジョン王;墓じゃ
ヒューバート;では片付けましょう
ジョン王;それでよい
KING JOHN :Good Hubert, Hubert, Hubert, throw thine eye
On yon young boy: I'll tell thee what, my friend,
He is a very serpent in my way;
And whereso'er this foot of mine doth tread,
He lies before me: dost thou understand me?
Thou art his keeper.
HUBERT; And I'll keep him so,
That he shall not offend your majesty.
KING JOHN; Death.
HUBERT; My lord?
KING JOHN; A grave.
HUBERT; He shall not live.
KING JOHN ; Enough.
この場面は「ジョン王」の見せ場のひとつになっている。なんとなく影の薄い王が、ここでは自分の意思を明確に語ることによって、存在感をかもし出しているからだ。
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