杜甫の七言絶句「李白に贈る 其二」(壺齋散人注)
秋來相顧尚飄蓬 秋來 相顧りみれば尚ほ飄蓬
未就丹沙愧葛洪 未だ丹沙を就(な)さずして葛洪に愧ず
痛飲狂歌空度日 痛飲 狂歌 空しく日を度(わた)る
飛揚跋扈為誰雄 飛揚 跋扈 誰が為にか雄なる
秋になって互いに顔を見合わせれば依然として浮き草のような生活、いまだ仙薬を作ることもできず、かの道士葛洪にはずかしい、痛飲狂歌して毎日を過ごし、いたずらに威勢を張っているのは果たして誰のためか
先の「李白に贈る」と同じような頃に書かれたものだろう。二人は山野を放浪して毎日を過ごしているが、それは道士として道を究め、不老不死の仙薬を手に入れるためではなかったか、それなのに現実はどうだ、痛飲狂歌してむなしく毎日を過ごしているだけだ
李白が道士のはしくれとして、不老不死の仙薬を手に入れるため、一種の錬金術に凝っていたことは有名な話だ。杜甫が李白に引かれたのは、もしかして自分もそのおこぼれにあずかれるかもしれないと考えた可能性がある。しかし現実は厳しい、仙薬どころか何も得ることができぬ、この詩は李白のでたらめ振りを揶揄しながら、自分のお人よし振りを自嘲したものでもある
なおこれは、杜甫の絶句の中で最も早いもののひとつだ。
結局、偉い李白もフツーの人だった、トホホ。。。
杜甫の正直なところがイイですね。