杜甫の七言古詩「江頭に哀しむ」(壺齋散人注)
少陵野老吞聲哭 少陵の野老聲を吞んで哭す
春日潛行曲江曲 春日潛行す曲江の曲
江頭宮殿鎖千門 江頭の宮殿千門を鎖す
細柳新蒲為誰綠 細柳新蒲誰が為にか綠なる
少陵の野老たる自分は咽びそうな声を押し殺しながら、春の一日曲江のあたりをしのび歩く、川のほとりの宮殿は門を閉ざしたまま、柳や蒲が芽吹いているのは、果たして誰のためだろうか
憶昔霓旌下南苑 憶ふ昔 霓旌南苑に下り
苑中萬物生顏色 苑中萬物顏色を生ぜしを
昭陽殿裡第一人 昭陽殿裡第一の人
同輦隨君侍君側 輦を同じくし君に隨って君側に侍す
輦前才人帶弓箭 輦前の才人弓箭を帶び
白馬嚼嚙黃金勒 白馬嚼嚙す黃金の勒
翻身向天仰射雲 身を翻し天に向って仰いで雲を射れば
一笑正墜雙飛翼 一笑正に墜つ雙飛の翼
思い起こすに、かつては霓旌の一団が南苑に下り、苑中の万物が華やかに輝いたものだった、昭陽殿裡第一の人たる楊貴妃は、玄宗皇帝と同じ輦に乗って付き従っていた
輦前に控えた才人は腰に弓箭を帶び、白馬は黄金の轡を嵌めていた、才人の一人が身を翻し天に向かって矢を射ると、一対の翼が楊貴妃の笑顔の前に落ちてきたものだ
明眸皓齒今何在 明眸皓齒今何くにか在る
血污遊魂歸不得 血污れて遊魂歸り得ず
清渭東流劍閣深 清渭東流し劍閣深し
去住彼此無消息 去住彼此消息無し
人生有情淚沾臆 人生有情淚臆を沾す
江水江花豈終極 江水江花豈に終に極らんや
黃昏胡騎塵滿城 黃昏胡騎塵城に滿つ
欲往城南望城北 城南に往かんと欲して城北を望む
あの明眸皓齒の人はいまどこにいるのだろうか、血は汚され魂は遊離したまま二度と戻らない、渭水は東へと流れ劍閣の谷は深く、去るものは茫々として消息もない
人生の転変のむなしさが涙を催させる、江水江花は極まりがないというのに、いま黄昏の城内には胡騎が塵をあげてのし歩いている、自分は城南に行こうとして思わず行在所のある北の方向を見てしまうのだ
安碌山軍によって捕らえられ長安に幽閉された杜甫だが、幽閉といっても軟禁されたわけではなく、詩作や散策など一定の自由が保障されていたようだ。この期間中にも春望を始め、数々の詩を書き残している。
そんな杜甫が至徳二年の早春、曲江を訪れた。長安城の東南にある行楽地で、かつて楊貴妃たちが歓楽を尽くした場所である。その歓楽の様子を、杜甫は麗人行の中で歌っていた。
いまその地を訪れた杜甫は、麗人行で描いた三年前の様子と今日の様子とを比較して、その余りの変わりように、時代の移り変わりを強く意識させられないではおられなかった。三年前には、たしかに楊貴妃一族の横暴があったとはいえ、人々はそれなりに自立して生活していた。しかしいまや長安は胡の征服するところとなり、人々は塗炭の苦しみをなめている。
杜甫はこうした時代の鋭い対比を、明眸皓齒今何在という句で表現している。明眸皓齒とは楊貴妃の美貌をあらわす言葉だ。その楊貴妃の無残な死と長安の今日の惨めな姿を重ね合わせることで、杜甫は国を滅ぼされたことの満腔の悲しみを歌いこんでいるのだといえる。
城北とは王宮のあったところであり、唐王朝にとっての象徴的な場を表すシンボルである。その方角の延長上には、行在所がある。杜甫は何度も振り返っては、その方角を確かめないではいられない。救いを求める気持ちがそうさせるのだ。
関連サイト: 杜甫:漢詩の注釈と解説
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