杜甫が鄜州で家族と再会を果たしていた頃、情勢は大きな転機を迎えていた。すでに至徳二年の一月に、安碌山軍には碌山が子の安慶緒によって殺されるという内紛が生じ、緩みが生じていたところだが、粛宗はその緩みをついて反撃の機会を狙っていた。そして至徳二年九月、粛宗の軍はついに賊軍を撃破して、長安を回復した。
この知らせを鄜州で聞いた杜甫は、「収京三首」などを書いて、喜びを歌ったが、十一月には妻子を伴って長安に戻ってきた。
帰京した杜甫は再び左拾遺の職に着くことができた。乱の間中多くの官吏が安碌山に服した中で、最後まで節を曲げなかったことが評価されたものと思われる。
こうして王朝回復後の長安にあって左拾遺として仕えた短い期間が、杜甫の生涯の中で最も恵まれた時期だったということができる。そんな至徳三年の春に、杜甫は己の人生を謳歌する詩をいくつか書いている。有名な「曲江二首」もその一部だ。
曲江は杜甫にとって、多くの思い出と結びついている。いまその地に立って、杜甫には珍しく、嘆きや怒りではなく快楽への意思を歌うのだ。
杜甫の七言律詩「曲江二首其一」(壺齋散人注)
一片花飛減卻春 一片花飛べば春を減卻す
風飄萬點正愁人 風萬點を飄へして正に人を愁へしむ
且看欲盡花經眼 且つ看る盡きんと欲するところの花眼に經るを
莫厭傷多酒入唇 厭ふ莫かれ傷ふこと多き酒唇に入るを
江上小堂巢翡翠 江上の小堂 翡翠巢くひ
花邊高塚臥麒麟 花邊の高塚 麒麟臥す
細推物理須行樂 細かに物理を推すに須らく行樂すべし
何用浮名絆此身 何ぞ用ゐん浮名の此の身を絆(ほだ)すを
一片の花が飛び散っても春の趣が害せられる、まして風がひゅうひゅうと吹きすさべば人を悲しくさせるものだ、眼前に見えるのは尽きようとするばかりの花、体に悪いからといって酒を飲まずにはいられないではないか
江上の小堂には翡翠が巣くい、花咲く高塚には麒麟が臥しているという、つらつら考えるに行楽するに若くはない、虚名にこだわって楽しまぬのは馬鹿げたことだ
関連サイト: 杜甫:漢詩の注釈と解説
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