ジュリエットの乳母は、批評家泣かせのキャラクターだ。普通の劇において、女主人公の乳母というのは、主人公に影のようにつき従って、彼女の行く手を照らしてやったり、行き過ぎた行動にブレーキをかけたりするというのが、大方の役回りだ。
乳母というものは、母親代わりなのだから、文字通り乳を飲ませたり、子供の成長を導くものでなければならない。年齢も母親の世代とほぼ同じことが期待される。
ところがジュリエットの乳母は、大変な老婆として描かれている。これでは乳など飲ませられないばかりか、子供の成長にとって好ましい影響をもたらすこともできないだろう。
だからシェイクスピアは、この老婆を通常の乳母としてではなく、劇に独特のスピリットをかもし出させるために造形したのだと考えることができる。厳密な意味での道化とはいえぬが、それに近い役割を果たさせることで、祝祭の劇としての「ロメオとジュリエット」に、カーニバル的な賑々しさを付与しようとしたのだろう。
乳母はジュリエットの登場とともに、というより少しそれに先立って、露払いのような形で登場する。
キャピュレット夫人:娘はどこ? 呼んできて頂戴
乳母:あたしの処女にかけて といっても12歳まででしたけど
呼んできますね 子羊さーん てんとう虫さーん
あらどこへいったんでしょう ジュリエットちゃーん(第一幕第三場)
LADY CAPULET:Nurse, where's my daughter? call her forth to me.
Nurse:Now, by my maidenhead, at twelve year old,
I bade her come. What, lamb! what, ladybird!
God forbid! Where's this girl? What, Juliet!
老婆は自分が12歳で処女を失ったことをアピールしている。一方ジュリエットもまだ14歳にもならない少女だが。自分の経験に照らしてみて、処女を失うには不思議な年齢ではない。そういっているように聞こえる。
ジュリエットに「子羊さーん、てんとう虫さーん」と呼びかけているが、これらはいづれもイギリスの御伽噺を彩る動物であり、妖精の世界を象徴する動物たちだ。ジュリエットはまだ年端のいかない少女であるばかりか、妖精の息がかかった特別の存在なのだと、訴えているようである。
キャピュレット夫人:娘が年頃になったのは お前にもわかるでしょ
乳母:お嬢さんの年のことなら 時間単位までわかりますわ
キャピュレット夫人:もうすぐ14だね
乳母:あたしの14本の歯にかけてそうですわ
もっともみんな欠けてしまって 4本しか残ってませんけど
LADY CAPULET:Thou know'st my daughter's of a pretty age
Nurse:Faith, I can tell her age unto an hour.
LADY CAPULET:She's not fourteen.
Nurse:I'll lay fourteen of my teeth,--
And yet, to my teeth be it spoken, I have but four--
老婆は年をとっているばかりか、容姿もまた醜いものとして描かれている。なぜこんな極端な脚色をしなければならなかったか、読者にはシェイクスピアの真意がわからないところもあろう。
たしかにこの劇を悲恋物語としてみる限りは、なぜ乳母がこんなにも異常な容姿で、かつとぼけた冗談ばかりとばすのか、理由がわからぬであろう。だがこの劇は悲恋物語であると同時に、祝祭の劇なのだ。この祝祭の中で、生きる喜びを賛歌し、肉体の豊饒性を謳歌する役回りを、シェイクスピアはジュリエットの乳母に与えているのだといえる。
乳母のとばす冗談は、すこぶるエロティックなものである。この劇は男女の愛をテーマとするものである限り、そこには肉の結びつきが大きな問題となる。肉の結びつきとは、元来がエロティックなものなのだ。
乳母:ほんとにお嬢さんたら 転んだ拍子におでこをぶつけ
ひよこのおちんちんほどのこぶをこしらえて
大泣きしたんですわ あぶないったらありゃしない
するとあたしの亭主がいいましたっけ うつむけに転んだのかい
でも大きくなったら仰向けに転がるんだよって
そのときお嬢様は「うん」ていったんですよ
Nurse:And yet, I warrant, it had upon its brow
A bump as big as a young cockerel's stone;
A parlous knock; and it cried bitterly:
'Yea,' quoth my husband,'fall'st upon thy face?
Thou wilt fall backward when thou comest to age;
Wilt thou not, Jule?' it stinted and said 'Ay.'
これはジュリエットについて昔語りをする乳母の言葉だ。ジュリエットはうつむきに転んでおでこにたんこぶをつくって大泣きする、すると乳母の夫がジュリエットをさとして、大きくなったら仰向きに転がるんだよという。
仰向きに転がるとは、女が性交のときに取る体位だ。幼いジュリエットにそんなことがわかるはずもない。だけれども大人にあやされて機嫌をなおし、「うん」と答える。そんな娘のジュリエットに、母親はこういう。それにあわせるように乳母もいう。
キャピュレット夫人:あの人と結婚しても お前はなにも減らないんだよ
乳母:それどころかむしろ増えますよ 女は男のおかげで腹が膨れます
LADY CAPULET:By having him, making yourself no less.
Nurse:No less! nay, bigger; women grow by men.
乳母は男女の結婚話も、下ネタに解消してしまう。だがそうすることで、結婚が本来もつ、自然な豊穣さを浮かび上がらせるのだ。
乳母:お嬢様のお楽しみのために汗を流すのがあたしの役目
いとしいお人を抱いて汗をかくのはお嬢様の役目
Nurse:I am the drudge and toil in your delight,
But you shall bear the burden soon at night.(第二幕第五場)
ここまでくると、乳母のエロティシズムもほほえましいものに変化してしまう。
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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