杜甫にとって、左拾遺の職を授けられて国政の一角を担えたことは生涯の中で最も幸福な時期といえるものだった、だがそれは長くは続かなかった。杜甫がかつて擁護した房琯が、奸臣たちによって再び古傷を云々されて、邠州の刺史に左遷されたことに伴い、房琯の一身とみなされていた杜甫も、華州の司功参軍に左遷されてしまったのである。時に乾元初年六月、左拾遺に任命されてわずか一年後のことだった。
華州は陝西省内長安の東90キロのところにある。房琯が飛ばされた邠州とは、長安をはさんでちょうど対極線上にある。太白山や終南山に連なる秦嶺山脈の東端にあって、中国五山のひとつ崋山の麓にある町だ。違う立場だったら、或いは喜びを与えてくれた土地だったかもしれないが、そこに左遷される身としては、そんな心の余裕はなかったろう。
その崋州に赴任するに当たっての気持ちを杜甫は詩にしている。「至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事」がそれである。
此道昔歸順 此の道昔歸順せしとき
西郊胡正煩 西郊胡正に煩し
至今猶破膽 今に至るも猶膽を破る
應有未招魂 應に未だ招かれざるの魂有るなるべし
近侍歸京邑 近侍して京邑に歸る
移官豈至尊 官を移すは豈に至尊ならんや
無才日衰老 無才にして日々に衰老し
駐馬望千門 馬を駐めて千門を望む
この道はかつて長安を脱して鳳翔の天子のもとに帰順したときに通った道だ、そのとき城の西郊には胡の兵がたくさんいた、今でもなおその折の恐怖が抜けぬほどだ、まだ長安に戻れぬまま漂っている魂もあることだろう
自分は天子に陪従して都に戻ってきたが、職を解かれて左遷される、だがそれは天子の意思ではあるまい、無才のままますます老いぼれ行くこの身、しばし馬をとどめては都の千門を望むのだ
金光門は一年前に長安を脱出して行在所のある鳳翔に向かったときに潜った門だ。一年後のいま、長安を追われて出て行くにあたって、やはりその門を潜る。杜甫にとっては感慨無量だったろう。
関連サイト: 杜甫:漢詩の注釈と解説
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