「じゃじゃ馬ならし」の女主人公カタリーナは、まさにじゃじゃ馬のあだ名にふさわしく、劇の最初では手の着けられないあばずれ娘として描かれている。男の弱点を捕まえては口汚く罵り、あまつさえ近づく男を叩いたり蹴飛ばしたりして散々な目にあわせる。伝統的な笑劇におけるあばずれ女のイメージを最大限に引き伸ばした形だ。だからこんな女に近づこうとする男はいない。男たちはみな彼女を悪魔呼ばわりまでするのだ。
グルーミオ:じゃじゃ馬 カタリーナ
そんなにどうしようもない娘には こんなあだ名がお似合いだ
GRUMIO:Katharina the curst!
A title for a maid of all titles the worst.
カタリーナの父親バプティスタは裕福な商人で、二人の娘を持っている。妹のビアンカのほうは美しく性格もよいことから、求婚する男が多数いるが、カタリーナには誰も敬遠して近づかないので、父親は心を痛めている。そこで、当時のイタリアでは娘を年の順に娶せる風習になっていることもあり、父親はカタリーナが結婚するまでは、ビアンカには結婚させないと宣言するのだ。
そこへじゃじゃ馬馴らしの志願者としてペトルーチオが登場する。ペトルーチオはビアンカの求婚者たちから姉妹の置かれている状況を聞くと、自分がカタリーナを嫁にしてやろううと宣言する。
求婚者たちは、カタリーナがペトルーチオと結婚すれば、ビアンカも晴れて結婚できる身になることを喜ぶが、果たしてあのじゃじゃ馬がペトルーチオと結婚するなどありうるかと心配する。第一ペトルーチオはまだカタリーナの顔を見たことさえないではないか。もしカタリーナと出会ってそのがみがみ言う声を聞いたら、怖気づくのではないかとも心配する。
そんな求婚者たちに向かって、ペトルーチオは自身たっぷりにいうのだ。
ペトルーチオ:それくらいの大声で俺がへこたれると思うのか?
ライオンの叫び声だって聞いたことのある俺だ
強風に逆巻く海が 怒り狂った熊のように
荒々しい雄たけびの声を立てるのを聞いた俺だ
戦場に炸裂する大砲の轟音も
大空をゆるがすような雷鳴も聞いた俺だ
俺は真っ暗闇の塹壕の中で
警笛の叫び 馬のいななき ラッパの劈くような音だって聞いたのだ
それに比べれば女のがみがみ声など
いくらうるさくてもたいしたことはない
火の中ではじける栗の音みたいなものだ
そんなものを怖がるのは餓鬼くらいだ
PETRUCHIO:Think you a little din can daunt mine ears?
Have I not in my time heard lions roar?
Have I not heard the sea puff'd up with winds
Rage like an angry boar chafed with sweat?
Have I not heard great ordnance in the field,
And heaven's artillery thunder in the skies?
Have I not in a pitched battle heard
Loud 'larums, neighing steeds, and trumpets' clang?
And do you tell me of a woman's tongue,
That gives not half so great a blow to hear
As will a chestnut in a farmer's fire?
Tush, tush! fear boys with bugs.
まだあったこともない女性を、ペトルーチオは何故妻にする気になったのか。それは金である。「ウィンザーの陽気な女房たち」でも、男たちは金が目当てで女に近づいたが、ここでもやはり金が動機で男は女に近づくわけである。
カタリーナの父親は、パドゥアの裕福な商人で、その娘と結婚すれば莫大な持参金が手に入る。ペトルーチオがこの町にやってきたのは、そんなうまい話を探すためだった。嫁の美貌など二の次だ。まして他の男たちが尻込みするという気立ての悪さなどは、結婚したあとでいくらでも調教できる、という計算だ。
そこでペトルーチオはまず父親のバプティスタとあって、カタリーナとの結婚のお墨付きを得る。カタリーナと対面するのは、万事首尾をつけたあとだ。
二人の出会いは火花の散らしあいから始まる。噂にたがわず、カタリーナはじゃじゃ馬だったが、ペトルーチオはひるまない。ののしられるままどころか、機転でそれを撃退したりもする。二人のやり取りは多岐に渡り、なかなか洒落てもいる。この劇のひとつの見せ場だ。
ペトルーチオ:これはこれは熊蜂さん そんなに怒るものではありませんぞ
カタリーナ:わたしが熊蜂だとおっしゃるなら せいぜい気をつけることね
ペトルーチオ:それなら あなたのとげを引っこ抜いてやろう
カタリーナ:どこにとげが生えているかご存知?
ペトルーチオ:熊蜂は尻にとげを生やしているものだ
カタリーナ:あなたのとげは舌に生えているようね
ペトルーチオ:なんだって・
カタリーナ:お尻にこだわるんだったら お別れよ
ペトルーチオ:いや あなたのお尻にこだわっているわけではないんだ
これでもわたしは紳士ですぞ
カタリーナ:紳士かどうか試してやるわ(ペトルーチオを打つ)
ペトルーチオ:もう一度やってみろ お前の尻を打ちたたくぞ
PETRUCHIO:Come, come, you wasp; i' faith, you are too angry.
KATHARINA:If I be waspish, best beware my sting.
PETRUCHIO:My remedy is then, to pluck it out.
KATHARINA:Ay, if the fool could find it where it lies,
PETRUCHIO:Who knows not where a wasp does
wear his sting? In his tail.
KATHARINA:In his tongue.
PETRUCHIO:Whose tongue?
KATHARINA:Yours, if you talk of tails: and so farewell.
PETRUCHIO:What, with my tongue in your tail? nay, come again,
Good Kate; I am a gentleman.
KATHARINA:That I'll try.(She strikes him)
PETRUCHIO:I swear I'll cuff you, if you strike again.
二人は始めての出会ったばかりで、早々と結婚へ向かって同意する。ここのところが、表面からはなかなかわからない点だ。カタリーナは、父親の意思であるとはいえ、何故かくもあっさりとペトルーチオと結婚する気になったのか。
これについては、さまざまな解釈がある。もっとも普通なのは、カタリーナはいやいやながら結婚し、その挙句に乱暴な亭主によって無理やり調教されるという解釈だ。その無理やりでめちゃくちゃな調教のプロセスがこの劇の魅力になっているというのが、この解釈の要点だ。
これとは別の解釈がある。それは、カタリーナがペトルーチオに一目ぼれしたとするものだ。これによれば、上のシーンはその一目ぼれをほのめかしている場面だ。なるほどそういわれて、始めての出会いにおける二人の会話を注意深く読むと、カタリーナがペトルーチオにまんざらでもない様子が伝わってくる。
この解釈にたった有名な映画がある。エリザベス・テイラーとリチャード・バートンが競演したもので、そのなかでは、マッチョな男として現れたペトルーチオにカタリーナがしびれることになっている。現実においても、リズ・テイラーはバートンの男くささにしびれて彼と結婚するのだが、それは脇へおいて、男女の間にある不思議な運命の糸が、物語の進行を決定的に左右したとするのが、この見方の要点だ。
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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