杜甫の五言古詩「龍門閣」(壺齋散人注)
清江下龍門 清江龍門より下る
絕壁無尺土 絕壁尺土無し
長風駕高浪 長風高浪に駕し
浩浩自太古 浩浩たること太古よりす
危途中縈盤 危途中ごろ縈盤す
仰望垂線縷 仰ぎ望めば線縷垂る
滑石欹誰鑿 滑石の欹(かたむ)けるは誰か鑿てる
浮梁裊相拄 浮梁裊として相拄(さそ)ふ
清江が龍門より流れ下る、両岸の絶壁は岩だらけだ、長風が波に乗って吹き荒れる、その浩浩たるさまは太古からのことだ
険難な山道は中ほどがうねり、仰ぎ見ると糸が垂れているようにも見える、そこに石が傾きそうになっているが誰かが削ったのであろうか、梁が浮いたようになってかろうじて支えあっている
目眩隕雜花 目眩みて雜花隕つ
頭風吹過雨 頭風吹いて雨過ぐ
百年不敢料 百年敢へて料らず
一墜那複取 一墜那ぞ複た取らん
飽聞經瞿塘 聞くに飽く瞿塘を經ると
足見度大庾 見るに足る大庾を度ると
終身歷艱險 終身艱險を歷ん
恐懼從此數 恐懼此より數へん
目がくらんで花が舞い飛んでいるような錯覚にとらわれ、頭には風が吹いて雨が吹きかける、百年の命が測りがたいどころか、一瞬にして落ちればそれっきりなのだ
瞿塘渓を渡る難しさは聞き飽きているし、大庾嶺を越える困難は見飽きている、自分はこれから死ぬまで艱難を経験することになろうが、ここを手始めに数えていきたい
嘉陵江が陝西省と四川省との境に差し掛かるところに、古来有数の難所があった。蜀の桟道と呼ばれるものだ。諸葛孔明が作らせたといわれるもので、陝西省沿いの絶壁に孔をえぐったり、あるいは桟を吊るしたりして、人間がやっと通れるような狭い道を切り開いたものである。日本で言えば黒部川沿いの狭い山道をもっと険しくしたものと考えてよい。
高い絶壁に作られた道だから、眼下は目もくらむような深い谷だ。まるで空中に浮かんでいるような錯覚にさえとらわれる。杜甫の一家はこの難所を、越えていかねばならない。だがその険しさも、これから自分たちを待っている艱難辛苦に比べればいかほどのものであろう。
龍門閣と題するこの詩は、蜀の桟道を渡ったときの恐怖心を生々しく描き出している。杜甫はいう、蜀の桟道は確かに険しかった、だがその険しさも、これから自分たちを待っている艱難辛苦に比べればいかほどのものであろうかと。
関連サイト: 杜甫:漢詩の注釈と解説
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