杜甫の七言絶句「夔(き)州の歌十絶句其一」(壺齋散人注)
中巴之東巴東山 中巴の東巴東山
江水開闢流其間 江水開闢より其の間を流る
白帝高為三峽鎮 白帝の高くして三峽の鎮と為となり
夔州險過百牢關 夔州の險しきこと百牢關に過ぐ
中巴の東には巴東山が聳え、大江の水は開闢以来その間を流れている、白帝城は高きにあって三峽の護りとなり、夔州の険しいことは百牢關にも勝る
大暦元年(766)春、杜甫の家族は長江を下ってキ州(奉節県)に至り、ここにしばらく腰を落ち着けることにした。かねてから身体の具合さえよければ耕作に従事したいと思っていたところ、キ州の知人から農地を提供されたので、一家を挙げて移る気になったのだとされている。
キ州は、三峽地帯の入り口に位置し、風光明媚なところでもある。ここに杜甫は大暦三年(768)の正月まで、約一年半を過ごした。
キ州時代の杜甫は、落ち着いた生活をバックにして旺盛な創作意欲を示した。この一年半あまりの間に、実に四百首以上を詠んでいる。
夔州歌十絶句は、大暦元年夏の作。
巴とは四川省東部一帯の呼称、西巴、中巴、東巴の三つからなっていた。白帝城はキ州付近の山上にあって、三峽の鎮となっていたところである。
関連サイト: 杜甫:漢詩の注釈と解説
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