草野心平の詩の形式上の特色として、オノマトペの多用と句読点の特異な使い方がある。オノマトペは、宮沢賢治も好んで使ったものだが、心平の場合、それ自身が表現の全体をなしているものがある。
一例として、第百階級の中に収められている「おれも眠ろう」という詩を取り上げてみよう。
おれも眠ろう 草野心平
るるり。
りりり。
るるり。
りりり。
るるり。
りりり。
るるり。
るるり。
りりり。
るるり。
るるり。
るるり。
りりり。
読者はこの詩の題名を手がかりにして、眠ろうとしているカエルを取り巻く自然の静けさのようなものを歌いこんだというふうに受け取るだろう。るるり、りりり、というオノマトペの繰り返しが、そのような静けさを彷彿とさせるように受け取れる。
だがもし題名がつけられておらず、ただたんにオノマトペが羅列されているのみだったとしたら、読者はどんな感想を抱くだろう。おそらく眠ろうとしているカエルとそれを取り巻く自然の光景を思い浮かべるものはいまい。それでも言葉のリズムからかもし出される、一種の快感のようなものは感じるだろう。意味がないといって、全面的に否定してしまうには、この詩には十分なメッセージが含まれていると感じてよい。
そのメッセージ性のひとつを構成しているのが、句読点の特殊な使い方だ。草野はすべての行を句点で終わらせる方法を自覚的に用いた。どんな行も句点で終わることによって、それが文章の流れの一部であるに留まらず、それ自身が独立した意味を担う塊なのだということを、読者に訴えかけるのだ
るるり、にしても、りりり、にしても、それらが句点で終わることによって、まとまった意味の塊であることを読者に感じさせる。一つ一つが意味の塊であるから、それの集合体としての詩の全体もまた、豊かな意味を持ったものとして読者に迫ってくる、そう考えてよい。
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