シェイクスピアの祝祭的な喜劇はどれも、仮想のユートピアを舞台に展開される。そこは牧歌的な雰囲気に満ちていて、住んでいる人々もまた、この世とは別次元の存在であるかのような印象を与える。彼らは現実性に乏しく、ほとんど性格らしい性格をもっていない、関心事は愛の成就であって、自分が愛されること、しかも自分が愛している当の人によって愛されることのみを願っている。
このユートピアは、たいていの場合、善良な君主が統治している。君主はまたたいていの場合、自分では愛をもとめず、国の住人たちの愛が成就するのを手助けする場合が多いのだが、十二夜という作品では、自分もその恋愛ゲームに参加する。というより、オーシーノ公爵という君主が、自分の愛を成就させようとするあがきのプロセスそのものが、この劇の筋を形作っているのだ。
この劇にはさまざまな演出法があるが、原作通りに演出しようとする場合には、オーケストラによる抒情的なフーガの演奏から始めるのが普通である。その音楽の演奏者に向かって、オーシーノ公爵はこういうのだ。
オーシーノ公爵:音楽が愛の糧だというなら 続けてくれ
うんざりするほど聞かされれば
愛する気持ちも衰えて やがては消えるかもしれぬ(1幕1場)
DUKE ORSINO:If music be the food of love, play on;
Give me excess of it, that, surfeiting,
The appetite may sicken, and so die.
・・・
so full of shapes is fancy
That it alone is high fantastical.
このセリフは、オーシーノ公爵の恋が、ままならぬものだということを暗示している。オーシーノ公爵はオリヴィアを愛しているが、オリヴィアは最後まで公爵を愛することはないだろう。だから公爵のオリヴィアへの恋心は不毛の愛に終わる運命なのだ。
かわって公爵の愛にこたえることとなるのは、別の世界からイリリアにやってきた、不思議な女性ヴァイオラである。
ヴァイオラは乗っていた船が難破してイリリアの浜辺に打ち上げられたのだった。目覚めた彼女は、自分を介抱してくれている人々に向かって、恐る恐る尋ねる。
ヴァイオラ:みなさん ここはなんという国ですの
船長:イリリアと申します
ヴァイオラ:ここではどう振舞えばいいのでしょう
(1幕2場)
VIOLA:What country, friends, is this?
Captain:This is Illyria, lady.
VIOLA:And what should I do in Illyria?
これはなかなか象徴的な場面だ。不安な表情のヴァイオラに向かって船長たちは、ここは「イリリアと申します」と答えるのだが、それはまるで、ここが現実の世界ではなく、おとぎの国かなにかであるような響きを伝えているように聞こえる。実際に、おとぎの国なのだ。そしてその国で起こる出来事は、何から何まで愛を巡るできごとなのだ。
そのおとぎの国で、ヴァイオラはどうふるまえばいいのだろう。真っ先に心に浮かんだのは、オーシーノ公爵に仕えることだ。だが女の姿のままではまずい、といって自分は男らしさとは縁がない、見え透いた演技はすぐにばれてしまうだろう、だから宦官として仕えることにしよう。
ヴァイオラ:わたしの正体をかくすのに 手を貸してください
上手に変装して人の目をあざむき
公爵の宦官に成りすましましょう
どうかわたしを公爵に推薦して
船長:あなたは公爵の宦官に わたしはあなたのおしの家来に
もしわたしの舌がしゃべったら この目をくりぬいてもよい
(1幕2場)
VIOLA:Conceal me what I am, and be my aid
For such disguise as haply shall become
The form of my intent. I'll serve this duke:
Thou shall present me as an eunuch to him:
Captain:Be you his eunuch, and your mute I'll be:
When my tongue blabs, then let mine eyes not see.
宦官とは、少年時代に去勢されたことによって、男になりそこなった人間のことである。声変わりもせず、ひげも生えない、少年のままのすがたが、女のように見える。ヴァイオラの意図にぴったりの役柄だ。
こうして別の次元の国からイリリアにやってきた少女が、イリリアという国に愛の嵐を引き起こすのだ。
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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