ヴィエラ・グラン(Wiera Gran)は、ナチス占領下のワルシャワのゲットーで甘い声で歌っていた。彼女の伴奏役はいつもヴラディスワウ・シュピルマン(Wladyslaw Szpilman)が勤めていた。二人ともホロコーストを生き残ったが、戦後シュピルマンは英雄的な音楽家として名声を博したのに対して、ヴィエラはナチス協力者として迫害を受けた。
ヴィエラは常に自分が無実であり、ナチスに協力したことなど一度もないと、叫び続けてきた。検察も彼女の有罪を立証することはできなかった。それでも彼女は人々に迫害され続けた。彼女の伴奏者であったシュピルマンが、戦時中の回想録を書いたときに、親しい仲間であった彼女のことを無視したことも、人々の疑いに火をつけた。
そのことがもとで、彼女はおよそ人間が信じられなくなり、深刻なノーローゼに悩ませられ続けた。そんな彼女の生き方について、やはりワルシャワ・ゲットーを生き延びたユダヤ人の子であり、伝記作者として高名なアガータ・トゥチンスカ(Agata Tuszynska)が、徹底的に取材して、彼女の言い分をポーランド語とフランス語で紹介した。Wiera Gran l'accusée
ヴィエラは、自分は理由もなくスパイのレッテルを貼られたのだという。そのことは自分のパートナーだったシュピルマンが一番よく知っていたはずだ。なのにシュピルマンは、回想録の中で、自分のことを不当に無視した。それが人々に不自然な気持ちを抱かせ、彼らの疑いを強固なものにしたのだ。しかもシュピルマンの回想記をロマン・ポランスキ(Roman Polanski)が取り上げ「戦場のピアニスト」という題名で世界中にリリースした。これでわたしは世界中のユダヤ人から改めて憎まれることになったのだ。
ヴィエラは、スパイはむしろシュピルマンのほうだったといった。自分はワルシャワのゲットーでユダヤ人が引き立てられていく光景を見たが、そこにいたシュピルマンは迫害する側に立っていたと。
こうした彼女の言い分を、トゥチンスカはそのまま紹介した。だが、世界中のユダヤ人がそれに対して猛烈な反論を行った。彼らにとっては、シュピルマンは英雄であり、ヴィエラは同胞の命をナチスに売り渡した憎むべきスパイなのだ。
トゥチンスカは、自分はこの本の中で真実をめぐって白黒をつけようとは思わないといっている。ユダヤ人の不幸な歴史について、それをめぐる証言や記録をあからさまに示しているだけなのだ。それをどう読むかは、読者一人ひとりの選択にかかっている。世界には真実のほかにも、考慮すべき事柄があるのだ。
彼女はこの著作の最後に近いところで、次のように書いている。
「ヴィエラが過去をどう覚えているか、世間が彼女をどう思っていたか、人はいったい自分の人生とか自分の過去をどんな風に思い出すのか、本当に起こったことってどんな風に甦ってくるのか、どこに真実があるのか?もしかしたら真実なんて存在しないのかもしれない。」
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