ブリューゲルの版画制作活動を締めくくるのは、七つの大罪シリーズと七つの徳目シリーズと題した二つのシリーズものである。キリスト教徒にとっての、プラスとマイナスの倫理的な課題を現しており、古来宗教画と並んで、画題として取り上げられることの多かったテーマだ。ブリューゲルは、版画商のコックに依頼されて、この二つのシリーズを取り上げたのだと思われる。
七つの大罪とは、人間が犯しやすい罪の中でも最も気をつけねばならぬもの、動機からしても結果からしても、最も許し難いと考えられたものだ。6世紀のグレゴリオ教皇以来、キリスト教世界では、傲慢、嫉妬、激怒、怠惰、貪欲、邪淫、大食の順に罪深いと考えてきた。
ブリューゲルは分なりの考えから、貪欲をその筆頭に置いた。けだしブリューゲルの時代には、商業活動が活発化し、金銭の価値が上がってくるのに伴い、金銭への執着と金銭を巡る争いが、社会問題となってきた、ブリューゲルはそんな有様を見聞するにつれ、貪欲こそ人間にとってもっとも罪深いものだと考えるようになったのだろう。
ブリューゲルの描いた罪の世界は迫力満点だ。ボス流の怪物も健在であるし、風刺もパンチがきいている。これに比較すると、徳目の方は、普通の人間が画面を占めるようになり、テーマの性格上、風刺や笑いはあまり感じられない。やはりブリューゲルには、民衆的なグロテスクさの方が、性に合っていたことを物語っているのだろう。
大罪シリーズの作品はいづれも、中央に罪を擬人化した人物が位置し、その周りを当該の罪と深い関連をもつ事柄や怪物のイメージが所狭しと並んでいる。
この絵の場合には、金に囲まれた女性が、あくなき貪欲の象徴だ。彼女のもとに、金の詰まった壺を担いだ怪物がやってきて、金貨の数をさらに加えるが、その壺には穴が開いている。
女性の背後には、金貸と思われる人物が、着ているものを担保に金を貸し出す光景が描かれている。この男は血も涙もない守銭奴なのだろう、小屋の壁からは巨大なハサミが突出し、いまにも裸の男を切ろうとしているところだ、おそらく返せなかった金の代わりに、自分の命を担保にしていたのだろう。
小屋の屋根からは金貨を詰めた袋がぶら下がり、それを石弓で撃って穴をあけ、金貨を失敬しようとしている集団がいる、その一人の坊主の後ろには別の男が忍び寄り、坊主の財布をもぎ取ろうとしている、その泥棒の背後には別の男が忍び寄り、財布でもすってやろうとしている。
左手に描かれている擬宝珠のような形のものは、貯金箱だと解釈されている。それに梯子をかけて上部を割ろうとしたり、竿でつついたりしているのは、金貨を盗み取るためである。
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