アメリカ軍がついにオサマ・ビンラディンの行方を突き止め、ヘリコプターなどを使った大規模な奇襲作戦で、ビンラディンを殺害した。その報に接したオバマ大統領は、緊急記者会見を催し、「正義はなされた(Justice has been done)」と宣言した。
2001年9月11日の首謀者として、世界中のテロリストたちのシンボルとして、ビンラディンは第一級のお尋ね者だったわけだから、彼を殺害できたことは、アメリカ政府にとっては宿年の課題が実現されたことを意味する。オバマ大統領は、ブッシュができなかったことをやり遂げたことで、大いに株をあげた形だ。
アメリカ中は、祝福ムード一色のようだ。日本を含めた同盟国は無論、ロシア政府でさえも歓迎のメッセージを発している。
ビンラディンという大悪人は、何があっても抹殺しなければならない。でなければ、民主主義の価値は踏みにじられたままで、人間の尊厳は回復されない、これがアメリカの立場だ。
だからビンラディンを抹殺するという目的のためには、手段は問わない、というのがこれまでのアメリカ政府のやり方だった。ビンラディンがアフガンにいるとなれば、あらゆる口実を動員してアフガンを攻撃した。それでもなぜか、ビンラディンはつかまらず、アメリカの努力をせせら笑うように生きてきた。
国家の威信にかけても許せることではない、この男はどんなことがあっても殺さねばアメリカ国民に対して申し訳が立たない、ブッシュの顔には常にそんな悲壮感が漂っていたものだ。
オバマ大統領にとっても、ビンラディンと云う男は、自分の存在意義を試される厄介な存在だったに違いない。偉大な大統領としてアメリカの歴史上に名を残せるためには、ノーベル平和賞を受賞できたくらいでは足らない。多くのアメリカ人を殺したビンラディンという男に、鉄槌を下さねば済むはずもない。
ビンラディンは殺されて当然の男なのだから、自分は殺したのだ。これがオバマ大統領の言い分なのだろう。拘束したうえで裁判にかけるという選択肢も当然あったはずだが、それが真剣に検討されたという証拠は示されていない。
しかし自国の領土の中で、アメリカの作戦を黙認したかたちのパキスタン政府は、どういうつもりだったのか。また今後アメリカ政府に対して、どのように対応していくつもりなのか。興味あるところだ。
何しろアメリカ軍のやり方は、超法規的な軍事作戦で、見方によっては無法行為の範疇に入るともいえる。今後の批判にどうこたえていくのか。これもまた興味の湧くところだ。
もうひとつ興味深いことは、アメリカ軍がビンラディンの遺体とされるものを、直ちに海上まで輸送して、水葬を実施したということだ。死後すみやかに埋葬するイスラムの風習を配慮したこと、陸地での埋葬は追従者によって聖地化される恐れがあることなどの理由が挙げられているようだが、今一つ腑に落ちないところがある。(写真はAP提供)
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