6月5日(日)、ゴラン高原でパレスチナ人のデモ隊にイスラエル軍が発砲、20人以上が死亡、300人以上が負傷する事件が起きた。この地域では、5月15日にも衝突事件が起き、2人が死亡、100人以上が負傷する事態が生じている。
前回の衝突がイスラエル建国の日(アラブ側にとっては屈辱の日:nakba)に起きたのに対して、今回は1967年の第三次中東戦争の結果、ゴラン高原がイスラエルに併合された記念日(naksa)だった。
パレスチナ人のデモは、フェースブックを通じて呼びかけられ。2000人あまりの若者がゴラン高原の国境地帯に集まってきた。当初は双方とも抑制された行動をとっていたようだが、時間が経過するにつれて次第にエスカレートしたようだ。
イスラエル当局によると、イスラエル軍は最大限の忍耐で望んだが、パレスチナ人が国境を突破しようとするにいたって発砲した、事態の責任はあげてパレスチナ人側にあると避難している。
イスラエル政府はまた、シリア政府が国内で進行している反体制運動の混乱から目をそらせるために、意図的に扇動したと非難している。
ゴラン高原では40年にわたってこのような衝突は起きていない。シリア側でも流血の衝突事件が起こらないように、細心の注意を払ってきたこともある。それが最近になって、二度にわたり流血事件が起きたことの背景には、様々な事情が考えられる。
国内の混乱によって、シリア政府がゴラン高原の警備に力を割けなくなっている事情もあろう。だがそれ以上に、パレスチナ人内部に民族意識が高まってきている事情にも注目する価値があろう。(写真はデモ隊を狙い撃ちするイスラエル軍兵士:WP)
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