ヒトラーが自分の抱いていたアンチ・セミティズムを吐露した最初の歴史的文書・ゲムリッヒ書簡(Gemlich Letter)がロサンゼルスの「寛容博物館(Museum of Tolerance)」によって所有されたのを契機に、同博物館の玄関口に恒久的に展示されることになった。
この書簡は、1919年に書かれた。当時30歳だったヒトラーはまだ無名の軍人で諜報活動を担当していた。そんな際に上官のカール・マイヤー(Karl Mayr)から、アンチ・セミティズムのプロパガンダについて意見を求められて書いたのがこの書簡である。
「アンチ・セミティズムは純粋に情動的な信念であり、ユダヤ人の虐殺(Pogrom)を希求するものである」そうヒトラーは書いている。「その究極の目的は、ユダヤ人を抹殺することである。そのためには力強い国家が必要である。軟弱な国家ではこのことは達成できない」
この文書を最初に発見したのはアメリカのGIウィリアム・ジーグラー(William Ziegler)だった。彼は1945年にニュルンベルグの瓦礫の中からこの文書を拾い出し、好事家に売り渡した。この人物は1988年にこれを「寛容博物館」を運営するシモン・ヴィーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Center)に売却しようとしたが、本物かどうか決着しないままに、他のコレクターが買収した。今年になって、この文書がヒトラー自身による真性の文書だと結論づけられ、ヴィーゼンタール・センターが改めて買収することにした。
買収価格は15万ドルだった。こうした性質の文書としては、破格の値段だというので、議論があったようだが、センターでは評議員が自発的に金を出してくれたといっている。
この文書自体には、歴史資料としての価値はあまりないと考えられている。ヒットラーのアンチ・セミティズムはこの文書がなくても解明が進んでいたからだ。ただ、これがヒトラーの直筆であるということが、別の意味での歴史的価値をかもしだしている。センターはそのことに着目して、あえてこの文書の入手にこだわったということだ。
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