今は昔、左近の將曹にて秦武員という近衞舎人があった。禅林寺の僧正の御壇所に参上し、僧正が説教しているところへいって、久しく話を聞いているうちに、思いかけず屁を一発鳴らしてしまった。
僧正も、御前に沢山いた僧共も、みなこの音を聞いたのだが、はばかりが多いこととて、ものもいわずに顔を見つめ合っていた。そのうち武員は、左右の手で自分の顔を覆って、「ああ、死にたい」と叫んだ。
その声で緊張がゆるんだのか、みないっせいに笑い出した。その騒ぎのすきに、武員は立ち走って逃げた。その後、しばらくは顔を見せることもなかった。
こういうことにはタイミングというものがある。タイミングを逸して時間が過ぎると、こうはいかぬ。武員のような男であったからこそ、笑いに紛らわせ、しかも「死にたい」などと冗談をたたくこともできたが、そうでない人は、屁をしたことで、えらく不名誉な事態に陥ったことだろう。
放屁譚は日本人が昔から愛読してきた物語だが、今昔物語集の中のこの話などは、最も古い部類に属するだろう。屁をひっても悪びれず、笑いで煙に巻くという趣旨は、屁と煙との間の共通性をうまく利用している点で、秀逸な物語になっている。
今は昔、左近の將曹にて秦武員と云ふ近衞舎人有りけり。禅林寺の僧正の御壇所に參りたりければ、僧正、壺に召し入れて物語などし給ひけるに、武員、僧正の御前に蹲りて久しく候ひける間に、錯りて糸高く鳴らしてけり。
僧正も此れを聞き給ひ、御前に數た候ひける僧共も此れを皆聞きけれども、物□き事なれば、僧正も物も云はず、僧共も各顔を守り、暫く有りける程に、武員、左右の手を披げて面に覆ひて、「哀れ、死なばや」と云ひければ、其の音に付きてなむ、御前に居たりける僧共、皆咲ひ合ひたりける。其の咲ふ交に、武員は立ち走りて逃げて去にけり。其の後、武員久しく參らざりけり。
然か有らむ事共、尚聞かむままに咲ふべきなり。程經ぬれば、中々□き事にて有るなり。武員なればこそ、物可咲しく云ふ近衞舎人にて、然も「死なばや」とも云へ、然らざらむ人は、極めて苦しくて、此も彼くも否云はで居たらむは、極じく糸惜しからむかしとなむ人云ひけるとなむ、語り傳へたるとや。
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