日中戦争から米英との全面戦争に発展したあの無謀な戦争で、日本は310万人もの国民の命を消耗した。かけた戦費もまた膨大な額に上った。日中戦争以降の8年間に限っても、7559億円、現在の価値に換算して300兆円に上る。今の日本のGDPは500兆円弱だから、その6割ほどの規模だ。
この費用を、日本軍はどのようにまかなったか。これまではわからない部分が多かったが、最近になって旧朝鮮銀行などのいわゆる国策銀行や旧横浜正金銀行の内部資料が次第に明らかにされ、戦費調達のメカニズムが少しずつわかってきた。
その過程をNHKの報道番組が追跡していた。題して「円の戦争」 まだ事実の整理に荒削りな所があるが、おおよその筋道が伝わってくる。
おおまかにいうと、日本は必要な戦費を日本円で支払ったわけではなく、朝鮮銀行や中国連合準備銀行など現地に設立した国策銀行、つまり傀儡銀行に発行させた通貨を利用して支払っていた。戦費は戦場で調達するという思想を実行していたわけである。
この思想は関東軍の指導者だった石原莞爾が考え付いたものだそうだ。石原は満州事変を遂行するに際して、戦争をもって戦争を養うといった。具体的には、朝鮮銀行の発行した紙幣を満州にも流通させ、戦争遂行に必要な経費をそれでまかなうというやり方である。
関東軍はこのやり方を、中国本土でも規模を拡大して行った。中国連合準備銀行を設立して、円紙幣を発行させ、それで戦費を調達したのである。しかしいくらなんでも、実体的な裏づけのない貨幣は紙くずにしかすぎない。日本側は日本円を連銀に預けることで、それを新貨幣の裏づけとしたのだった。しかし、実際には円による裏づけを超えて、現地の通過が発行された。その結果、この貨幣が流通する地域で、すさまじいインフレが吹き荒れるようになったのは、理の当然である。
日本側がこんなことをできたわけは、当時中国には全国を統一する政権と金融秩序が存在せず、軍閥の類が列挙して、勝手に自分たちの通貨を流通させていた実態があったからだ。日本側は中国における金融秩序の不在に付け込む形で、自分の貨幣を押し付けることができたわけである。
しかし、そのうちに蒋介石の国民党が中国元を流通させるようになる。元が支配的になれば、日本の傀儡銀行が発券した貨幣は紙くずへの道をたどらざるを得なくなる。こうして戦争の末期近くでは、一日に三倍も物価があがるほど、現地円の価値は下落した。
ざっとこんな事情があぶりだされたと、NHKは言っていた。日本は中国を舞台に、人的・物的な消耗戦を繰り広げると共に、金融秩序の覇権をめぐっての戦いも繰り広げていたわけだ。
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