朝鮮王朝儀軌をはじめ、植民地時代の朝鮮から日本に持ち出された図書1200冊ばかりの「返還」を巡って、先日政治的な騒ぎがあったばかりだが、そもそもこれらの図書類がなぜどのような経緯で日本にわたってきたかについては、これまであまり知られていなかった。大部分が宮内庁書陵部という特別な空間にひっそりとしまわれてきたからだろう。
NHKの番組が、これらの図書類にまつわる歴史的な経緯を発掘して、解説していたのを、筆者は興味深く見た。題して「朝鮮文化遺産 百年の流転」
宮内庁書陵部が保存していた朝鮮王朝儀軌とよばれる文書は81種類167冊にのぼる。書かれている内容は、朝鮮王室に代々伝わる様々な儀式についてだ。
これらの文書は朝鮮総督府から宮内庁に寄贈された形になっている。宮内庁は、朝鮮王室の成員を処遇するために必要な礼儀を知ることを目的に、この文書の獲得を朝鮮総督府に依頼したと思われる。というのも、日本は朝鮮半島を併合した後も、朝鮮民族の誇りを尊重して、旧朝鮮王室の成員を手厚くもてなおす政策をとった。ところが朝鮮独自の儀式を理解しないことから、思いがけない軋轢が起こることもあった。
もっとも大きな軋轢は、高宗が亡くなったときに起きた。日本側は高宗の葬儀を日本の皇室に伝わる神式の流儀で執り行ったところ、朝鮮民衆から激しい反発を受けた。日本式の葬儀が朝鮮民族の伝統を無視したという理由からだった。
そこで日本側では、宮内庁が朝鮮王室の成員を手厚く遇するための参考資料を求め始めた。朝鮮総督府はそれにこたえる形で、朝鮮王室に伝わる儀礼関係の図書を集めた。朝鮮王朝儀軌と総称されるこれらの図書は、いくつか複製が作られて複数の書庫に保存されていたが、日本側はそうした図書の中から、複数アの複写があるものを選んで、宮内庁に送った。そうすることで、朝鮮側にも必要な図書が残るように配慮したためだ。
純宗が亡くなったときに、この図書が大いに役に立った。日本側は、この儀軌をもとに朝鮮風の慣習を以て純宗の葬儀を執り行うことができた。そのため、朝鮮民衆からは特段の日本非難は起こらなかった。
今回この図書を韓国側に引き渡すに際しては、大いに論争が行われた。日韓平和友好条約により日本側の返還義務は消滅しているのだから、貴重な文化遺産である朝鮮王朝儀軌をわざわざ返す必要はない、というのが主な反対意見だった。
だが、この文書は朝鮮民族の誇りにかかわるものだ。世界記憶遺産にも登録されている。だから日韓の友好関係にとって、韓国側の返還要求にどうこたえるかは、条約の解釈を超えたデリケートな政治問題となった。
結局菅内閣は、「返還」ではなく「引き渡し」という理屈をつけて、事実上韓国に返還したわけだ。そうすることで、日韓関係が未来に向かって強固なものになれば、それに越したことはない、こんな判断が働いた結果だろう。
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