「イスラム市民への無差別攻撃 可能」と題する「朝日」5月18日付朝刊一面の記事を読んで暗澹たる気持ちにさせられた。米軍幹部の教育機関で、イスラム教の聖地やイスラム教徒の一般市民に対して、広島や長崎への原爆投下や東京大空襲のような無差別攻撃が容認される、という内容の授業が行われていたというのだ。
問題の授業は、米統合軍参謀大学で、現職士官らが軍の中堅幹部を対象に行っていた講座で、2004年以来続いてきたという。2010年に行われたある講座で使われた資料には、イスラム教徒14億人のうち少なくとも1割が過激派で、穏健派も暴力を支持していると指摘、そうした人々との間では、共通の基盤を探ることはできず、全面的な戦争が求められるとしたうえで、イスラム教徒との戦争では、市民を戦闘対象から除外したジュネーブ条約を順守する必要はなく、「市民に対する戦争も選択肢になる」と指摘していた。
この講座の存在が問題になったのは、今春これを聞いた受講生が告発したことが発端だった。パネッタ国防長官は早速遺憾の意を表明し、調査を約束したが、問題の根は意外と深いようだ。
こうした授業が開始された時期や、どれくらいの人々がそれを聞いたかなど、詳細はまだわからないが、受講生の一人が今年の春に告発するまで、誰も問題にしなかったことは、相当深刻な事態だととらえてよい。
日本人としては、広島や長崎への原爆投下、東京大空襲をはじめとした一般人の無差別虐殺について、米軍当局がなんらの反省もしないばかりか、一部の人とはいえ、同じようなことをイスラム教徒に対して行っても容認されると考えている人がいることに、逆毛がたつような不気味さを感じる。
コメントする