山口仲美著「日本語の歴史」(岩波新書)は、話し言葉と書き言葉の相互作用を中心に日本語の歴史を取り上げたものである。
書き言葉とはもともと、日常話している言葉=話し言葉をもとに成立するもので、その過程には文字と云うものが介在する。文字が無ければ話した内容を書きとめておくことができないからだ。
一方、書き言葉は、話し言葉の単なる繰り返しではない。言葉は話されたものから、書かれたものへと転化する過程において、一定の変容を蒙るものだ。その変容に、文字というものが深くかかわっている。
ところで日本人はこの文字の体系というものを、中国の漢字をもとに作り上げた。外国の文字、しかも表音文字ではなく表意文字である漢字をもとにして、日本の書き言葉の体系を作り上げたことから、世界に例を見ないユニークな言語の体系ができあがった。
そのユニークさのなかでも横綱格ともいえるものは、書き言葉の話し言葉からの遊離ということだろう。書き言葉の話し言葉からの遊離は、どの言語にも、多かれ少なかれ見られるものだが、日本語の場合には特に甚だしい。
日本語の歴史はある意味で、書き言葉と話し言葉の遊離をどのように克服し、それらをどう調和させるかについての、様々な試みの歴史であった、著者はそう言っているようである。
ひと時代前の文章を読むと、殆どが文語で書かれている。文語と言うものは、文章表現のために特化した様式で、普通人が話しているところの話し言葉とは、非常に違っている。語彙の違いばかりでなく、文法上の微妙な違い、そして修辞学的な違いまで、実に手が込んでいる。
その結果、現代人が読んでも、なかなかすとんと来ないというか、中には理解を拒むような文章も多い。たとえば西鶴の文章を、今の若い人たちがどこまで理解できるか、誰もが心もとなく思うだろう。
日本語における話し言葉と書き言葉の遊離は、ひとつには言語生活の歴史的変化にも要因はあるが、それ以上に日本語が漢字を採用していることに起因する部分が大きい。
漢字というものは言うまでもなく、中国の文字であり、中国人はこの漢字を用いて、書き言葉としての文章を綴った。そして、日本人はこの漢字を文字として採用したのであるが、その場合漢字で書かれた文章もそのまま日本語として読めるような、とんでもない工夫をした。もともと外国語である漢文を、訓読の読み下し分に転化させることで、一種の日本語表現として取り込んでしまったわけである。
徳川時代の学者が書いた文章には、この読み下しの漢文に近いものが多い。そうした漢文朝の文章は明治、大正と続き、昭和の敗戦に至るまで、官庁の公式文書はもとより、商業新聞の記事にも用いられていた。それ故、書き言葉と話し言葉の遊離は、日本語の歴史の中で非常に深い根をもっているのである。
漢文的な日本語表現に比べると、西鶴の文章はまた独特の難しさがある。これもまた決して話し言葉をそのまま書き取ったものではない。話し言葉とは次元の異なった独自の文章の体系をなしている。書き言葉固有のレトリックが、そこでは横溢しているのである。
ことほどさように、日本語における話し言葉と書き言葉の関係には、面白いところが多い。山口氏の書いたこの本を読みながら、自分なりの日本語論を展開してみるのも、楽しい作業だと思う。
関連サイト: 日本語と日本文化
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