生殖にかかわる行動は、種の保存にとって最も根源的なことであるから、あらゆる動物に本能という形でビルトインされている。人間はそれを性欲という言葉で表現し、人間性の奥に潜む抑えがたい衝動として理解してきた。
人間にとっては、かくも本源的な衝動であるが、長い人類の歴史の中で、それが科学の対象として、実証的に研究されてきたとは決していえない。どちらかといえば、半分猟奇的な関心を以て取り上げられたり、せいぜい文学作品を彩る程度にすぎなかった。
近年は、性にまつわるタブー意識が弱まってきたものとみえ、人間の性衝動に関する実証的な研究も進んできたようだ。先日は、それら最新の研究動向をレヴューした記事を、硬い編集方針で知られるニューヨーク・タイムズが載せていた。必ずしも十分に整理された議論にはなっていないが、とりあえず研究の現状を知るには便利だと思われるので、紹介しておきたい。 Birds do it, Bees do it, People seek to the Keys to it ; By Natalie Angier NYTimes
まず性衝動(生体の性的反応)のもつ原始的な性格について、アムステルダム大学の研究グループが成果を上げている。エレン・ラーン女史によると、性的刺激に対する人間の性的反応は、脳の介入に先立って身体的なレベルで現れるという。男の場合の性的反応はペニスの勃起という形で外見的に知ることができるため、客観的な観察が可能であるが、その結果わかったことは、人間の男は特定の性的刺激(視覚、触覚、臭覚など)に接すると、そうとは意識せず自動的にペニスを勃起させるということである。
性的反応に脳が介入するのは、二次的なプロセスらしい。この場合脳は、反応を助長したり、逆に抑制したりする方向に働く。抑制は対象の持つ危険因子にも依存するが、個体の性向にもよる。同じ危険因子(たとえば性病の確率)を前にしても、性に積極的な個体と抑制的な個体とでは、行動パターンに大きな違いがみられる。好色な男はコンドームをしてでも、自分の性衝動を和らげるために、危険を冒す場合が多い。
女の性衝動については、男の場合のようなわかりやすいバロメーターがなく、また女性の羞恥的な傾向もあって、なかなか研究が進んでこなかった。
キンゼイ研究所のステファニー・サンダース女史は、女性に生ずる性的興奮状態についてアンケートを行った。女性たちは、感情の高揚、外性器のうずき、子宮のうごめく感じ、心拍数の増大や皮膚感覚の鋭敏化、筋肉の収縮などを性的衝動の兆候としてあげたという。
また、男の場合のペニス勃起に相当するものは膣の湿潤であるかどうか女性たちに訪ねたところ、否定的な答えが殆どだった。性的な衝動がなくても膣は濡れることがあるし、生理のサイクルによっても変化するので、性的興奮としては重要なものではあるが、決定的なものではないというのである。
それでは性的高揚感とはどんなものか改めて訪ねると、多くの女性は愛されている実感といったメンタルな因子をあげた。
アメリカ精神保健センターのチバーズ博士は、性的な刺激に対して男女が示す反応の違いを研究している。博士によれば、男の場合には性的な刺激と身体的な反応とは整然とした関係にある。女性にのみ性的な興味を感じ、男には感じない者にとって、例えば男同士の性行為を見ても何ら性的興奮を覚えることがない。それに対して女は、男女間の性交、女同士の性戯、男同士の性行為、いずれに対しても性的興奮(膣の充血と湿潤)を覚えるという。
チバーズ博士はこれを、女の生理的な条件に関連づけて考えている。男の場合と異なり、女は意に反する性交を迫られる場合がある。その時に膣がダメージを受けるのを防ぐため、たとえ意に反してペニスを挿入された場合においても、膣内を湿潤にして迎え入れるのだという。(膣の湿潤は、クリトリスへの刺激を経由して、脳から指令されるらしい)
以上の学者たちを始め今日の世界のセクソロジストたちが大方一致している意見は、男の性衝動は女のそれよりも強く、またいついかなる時でもコンスタントに働くということである。
女の性衝動は月経周期に大きく影響され、排卵期に最も大きな高まりを見せる。その時期の女は性的興奮が高まりやすくなり、セックスについて空想したり、マスターベーションをしたり、またパートナーに対して能動的な態度をとり、挑発的な衣装を着たりする。総じてこの時期の女性はセックスに対して積極的になるが、それは生殖のチャンスと結びついた原始的な衝動なのかもしれない。
これに対して、男は一年を通じて、性的興奮に開かれている。男は常にスタンバイの状態なのである。フロリダ大学のバウマイスター教授は、これを「男の性的な宿命」といって同情している。
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