義煕十二年(416)、劉裕は北伐を行い、翌年には長安に攻め上って後秦を滅ぼした。この知らせは、久しく中原の地を異民族に奪われていた漢人たちをいたく感激させた。陶淵明もその一人であった。
江州刺史檀韶は、戦勝祝いのために部下の羊長史を都に派遣した。この詩は、その出発に際して、陶淵明が贈ったものである。
詩の中には、中原を回復して国土が統一されたことへの喜びと、中原に対する陶淵明の日頃のあこがれがよく現れている。
贈羊長史
愚生三季後 愚 三季の後に生まれ
慨然念黄虞 慨然として黄虞を念ふ
得知千載外 千載の外を知るを得るは
正頼古人書 正に古人の書に頼る
賢聖留餘跡 賢聖 餘跡を留むるは
事事在中都 事事 中都に在り
豈忘游心目 豈に心目を游ばしむるを忘れんや
關河不可踰 關河踰ゆべからず
自分は聖人の世の後に生まれ、聖人たちとともに生きることができないのを悲しみつつ、黄帝や虞舜のことを思う、大昔のことを知るには、古人の書に頼るほかはない、(三季は夏・殷・周三代の世、黄虞は黄帝と虞舜)
その聖人たちの残した足跡は、ことごとく中原にある、どうして中原のことを思わずにいられようか、だが中原との間には關河が横たわっていて、容易に越えることができない、
九域甫已一 九域 甫めて已に一となり
逝將理舟輿 逝くゆく將に舟輿を理めんとす
聞君當先邁 君の當に先づ邁くべしと聞くも
負痾不獲倶 痾を負ひて倶にするを獲ず
路若經商山 路若し商山を經なば
爲我少躊躇 我が爲に少しく躊躇せよ
多謝綺與角 多謝す綺と角とに
精爽今何如 精爽 今何如と
ここに始めて天下が統一され、皆船や車を用意して中原に向かおうとしている、あなたも行くと聞いて私も同道したい気持ちでいっぱいだが、病のためにご一緒することができないのが残念だ、(九域は中国全土、)
途中もし商山を通ったら、私のためにしばし足を止めてはいただけないか、綺と角の両先生に挨拶し、ご機嫌はいかがかと聞いてもらいたいのだ(商山は陝西省にある山、漢の始め高祖の招きを断った隠者たちが隠れた山とされる、躊躇は足を止めること、綺と角は商山に隠れた隠者の名、精爽は精神)
紫芝誰復採 紫芝 誰か復た採る
深谷久應蕪 深谷 久しく應に蕪るるなるべし
駟馬無貰患 駟馬 患ひを貰(おぎの)る無く
貧賤有交娯 貧賤 娯しみを交ふるあり
清謠結心曲 清謠 心曲に結ばれ
人乖運見疎 人乖き 運疎んぜらる
擁懷累代下 懷ひを擁を累代の下
言盡意不舒 言盡きて意舒びず
隠者たちがとったというあの紫芝は、今は誰がとっているのだろうか、深い谷は荒れ放題になっているかもしれぬ、駟馬に乗る高貴の人でも憂いをなくすことはできず、貧しいものであっても楽しみを交わすことができる(紫芝は隠者たちがとったという草、駟馬は四頭だての馬車)
隠者たちが歌ったあの清らかな歌が私の心をうつ、あれ以来会うこともできず、歳月が流れた、彼らへの思いを私は何代もの後になって抱くのであるが、言葉が尽きて、その思いを延べ尽くすことができない(清謠は隠者たちが歌った清らかな歌、心曲は心のすみ、人乖は互いに時代が隔たること、)
陶淵明の喜びを裏切るかのように、晋による中原の平定は束の間のことで、やがて華北全体は北魏によって統一されることになる。
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