陶淵明「飲酒二十首」より其十四「故人賞我趣」を読む
飮酒其十四
故人賞我趣 故人 我が趣を賞し
挈壺相與至 壺を挈えて相與に至る
班荊坐松下 荊を班いて松下に坐し
數斟已復醉 數斟にして已に復た醉ふ
父老雜亂言 父老は雜亂して言ひ
觴酌失行次 觴酌 行次を失す
不覺知有我 我の有るを知るを覺えず
安知物爲貴 安んぞ知らん物の貴しと爲すを
悠悠迷所留 悠悠たるものは留まる所に迷ふも
酒中有深味 酒中に深味あり
知人たちは私の酒好きなのを知り、壺を携えてみなでやってきた、むしろをしいて松の下に坐し、数献を傾ければたちまちに酔う、老人たちの言葉は乱雑になり、杯が乱れ飛んで序列も何もなくなった
私も自分のことを忘れて飲む、なんで世間の価値などにかかわっていられようか、名利に走る者たちはこせこせと自分の地位にしがみついているが、酒中にこそ物事の本質が見えてくるのだ
知人友人たちとの楽しい酒宴の様子を歌ったものだろう。日本人は桜の木の下に筵を敷き、ドンちゃん騒ぎをするのが好きだが、陶淵明たちは松の木の下に筵を敷いた。
酔いが回るほどに、長幼の序も貴賎の別もなくなってくる。謹厳な老人までがへべれけになって下も回らない。かくいう自分も正体不覚になるまで酔っ払ってしまった、と楽しそうな口ぶりである。
「酒中に深味あり」とは「酒中に真あり」の陶淵明流の表現だろうか。