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台北小紀行


平成十九年十二月十五日(土)昨年例の家鴨の諸君と利尻礼文へ旅行せし折、次は是非海外へいかばやなんどと話しあひしが、喧々囂々議論の末台湾へ二泊三日の小旅行をなすこととはなりぬ。台湾は地理歴史ともに日本に近し。衛生状態悪からず、食物も美味にして日本人の口にあふべし、されば国内旅行の感覚もて旅を楽しむを得べしといふがその理由なりき。

かさねていへば、我らが幹事役たる静女はそもそも台湾に生まれしなり。祖父、父君ともども台湾に生活し、彼女は終戦の年に台北にて生誕したり。しかるに日本へ戻りて後一度たりと台湾を訪れしことなしといふ。されば此度は彼女にとりては始めての里帰りとはなるなり。

午前十一時、成田空港南翼四階出国ロビーにて同行の諸子と会ふ。参する者、余のほか大小横福今静の合せて七人なり。早三加安丹の諸子は各々事情ありて参ぜず。

空港内の食堂にて腹ごしらへをなし、飛行機に乗り込みしは午後二時。航空会社は長栄航空とて耳慣れぬ名の会社なれど、悪名高き中華航空よりはましならんとて皆納得す。中華航空が悪名を取りしはしょっちゅう墜落するによってなり。中華航空は国営の会社なり。毎年墜落するは役人商法のもたらす必然なるべしとて、いまや如何に廉価ならんとも世界中好んでこれに乗らんとする者なし。

空を飛ぶこと三時間、日本時間午後五時(現地時間午後四時)過、台北桃園空港に着陸す。この空港かつては中正空港といひしを、今年より名称を変更したりといふ。桃園とは空港周辺の地名なる由。

空港には旅行会社より派遣せられたる一婦人出迎に来りてあり。名を某女といふ。彼女に案内せられてバスに乗り込み、一時間ほど走りて黄昏の台北市内に至る。

まず一茶房に招き入れられ両替をなす。ホテル、銀行の如く手数料を取らず、一割方有利といふ。余が始めて台湾を訪れし十年ほど前には、為替レートは台湾元一に対して日本円五なりしが、このたびは一元に対して三円六拾銭の割合なり。

次いで烏龍茶を振舞はる。頗る美なれば誘はるるまま茶葉を求む。値千二百元なり。

茶房を辞して後、梅子なる台湾料理店にて晩餐をなす。この店「メイツ」といはず「うめこ」といふ。台北には至る所「日式」と称して日本風の店あり、それらには日本語の名冠したるものも多しと聞けど、かくの如く台湾料理の店に日本風の呼名付するは珍しとすべきか。

食後市街東部松山駅近くの饒河街夜市を訪ふ。全長四百米程の路地に屋台びっしりと立ち並び、さなくも狭小なる空間におびただしき人々肩を擦れ合わせつつ漫歩す。屋台の多くは食物屋にて、さまざまな食物を商ひたり。それらの食物の匂ひ周囲に充満して独特の臭気を発す。なかには鴨頭とて合鴨の首の炭焼きにせられたるもの恨めしげに盛られ、見る者をして驚愕せしめたり。

屋台には家族そろって食事するもの多し。某女のいふには、屋台はすこぶる廉価にてしかも品数多し、しかれば自分で食事の支度をなさず、屋台にて食事をすます者多かる由。

晩間十時頃台北駅近くのシェラトンホテルに投ず。余は福子と相部屋をなす。入浴してのち、我が部屋にみな集まり歓談す。

この旅行、明日の午前中までは旅行会社のプランに従ひ名所を訪ね歩く予定になりをれど、その先は自由行動といふ。ところが何をして過ごすべきかいまだ決まらずしてあり。横子は新幹線に乗りて新竹まで行きたしといふなれど、時間の余裕なし。その上、新竹はさしてみるべきものなし。ガイド某女子のアドバイスを踏まへ、明日の午後は九分を観光し、明後日は世界最高なる101ビルディングの展望台より台北の市街を一望せんといふことに決す。

深更銘々就寝す。


十二月十六日(日)ホテル内にて朝食を喫せし後、午前八時半バスに乗り込む。まづ忠烈士祠を訪ふ。門前左右に立つ衛兵は微動だにせず、瞬きをもなさず。人形を見るやうなり。やがて衛兵の交代式あり。一時間おきに交代する由なり。

ついで故宮博物院を訪ふ。わずかな時間にては多くを見るべくもなしとて、主に古代の遺物を見つつ、某女の説明を聞く。最も印象に残りたるは、周の時代の青銅盤なり。一面に古文を標す。人類史上最古の契約書類なる由。

市内に戻り、さる土産屋に立ち寄る。ここにて荊婦のために翡翠の首飾りを求む。また女店員に付きまとはれ様々なものを勧めらる。その一つに豚の置物あり。牡が牝の背後より交尾するさまを描いたるものにて、牡は立ち上がって牝を抱え、牝は尻を突き出して悶絶せんとす。雌雄いづれの表情にも独特の幸福感あり。見るものをして抱腹せしめたり。

余、女店員に向かって、何故かかるものを余の如き老人に勧めんとすと問ふに、女店員曰く、豚はめでたき動物にて長寿の徴なり、しかして雌雄交尾をなすは子孫繁栄の徴なれば、長幼を問はず求むべきものなりと。余、その説に一理あるを感ぜしが、かかるものを土産に持ち帰らば荊婦の嘲笑を招くべし。その場にほくそ笑むことを以て足れりとなしぬ。

午下信義路に面する台湾料理屋「鼎泰堂」にて喫す。新宿の高島屋などにも出店しをるなれば、日本人にはなじみ深き店なり。ここは本店の由なれど、間口狭く多くの人を収容する能はず。よって店前席を求むるもの長蛇の列をなす。余らは少時にして席につくことを得、台湾ビールと菜数種を注文す。頗る美味なりき。

食後民主記念館に立寄る。もと中正記念堂といひ、蒋介石の事跡を記念するために建設せられたる建物なり。前回台湾を訪れし折にもここに立ち寄りたり。ガランとせる空間に蒋介石の巨大なる銅像聳え立ちたるさまなど思い出しぬ。その折、我ら四人のうち松子のみは、蒋介石を嫌悪すなどといひて見物することを拒みたり。

この建物名称を改むるに留まらず、蒋介石の個人の匂ひを消却し、面目を一新せんとす。この日はいまだ工事中にて内部に入ることは得ざりしが、かの巨大な銅像も撤去せらるべしといふ。某女このことを評して甚だ残念となす。蒋介石は良きにつけ悪しきにつけ、台湾にとりては歴史上の偉人なり。それを消し去らんするは歴史への挑戦といふべきにあらずやと。

某女がかくいふには訳あるが如し。某女の祖先は蒋介石とともに国を追はれて台湾に逃げて来たる由なり。されば蒋介石にはいささか同情するところあるものの如し。

これに対して現在の陳水扁政権は内省人が中心の政府なり。彼ら蒋介石に象徴せらるる外省人の支配を脱却して台湾の伝統を快復せんとす。その余りに蒋介石のために建設せられたる記念堂も衣替えして、その匂ひを消去せんとす。これが某女の気には入らざるなり。しかして某女陳水扁一味をさして共産党のろくでなしどもなどといふ、その言或は理解すべきこととなすべきか

九分は台北の北東数十キロの海岸沿にあり。戦前の一時期黄金の産出を以て栄えたる所なり。かつては山岳に阻まれて陸路より至るを得ず、人々海路を通じて至るといふ。今は山岳道路切り開かれて台北より一時間ほどの道のりなり。

街の手前に検問所あり。一般の車両許可なくして進むことを得ず。許可なきものは専用のシャトルバスに乗り換ふるべしといふ。ここにて怪しき風体の男に行く手を阻まる。我らが車は許可証を持参したるに男その効力を認めず。許可証を押収して去らしめんと欲す。某女大いに驚きて交渉するもなかなか拉致あかず。そのうちに警察官の来るを目にしたれば、警察官を介入せしめて男を追っ払ふ。

某女に事情を聞くに、男は地元のやくざの如しといふ。この連中私設警察官を気取りて一般通通行人を恐喝し、賄賂を受け取るを業となすといふ。いづれ面白き見ものを見たりといふべきか。

街は山岳の斜面の階段に沿ひてレトロな建物立ち並び、すこぶる勝景なり。眼下に港の風景も望み得たり。散策すること一時間、また烏龍茶を喫す。

昏暮市内に戻り、中山北路と民俗東路の交差点なる台湾料理屋丸林魯肉飯店にて晩餐をなす。なかなか風情ある店なり。向側には海鮮料理屋海覇王あり。前回夕餉をとりしことなど思ひ出しぬ。

九時過ホテルに戻る。入浴の後飯店にて買い求めし紹興酒を飲みつつ大いに歓談す。


十二月十七日(月)この季節台北は雨季にあたるといふも、到着以来この日まで晴天に恵まれたり。

ホテル内にて朝食を喫せし後、八時半頃ホテル近くの地下鉄駅善道寺に至る。前回来たる時には地下鉄などあらざりしが、今は数本の路線ありといふ。初乗り運賃は二十元、日本と異なり切符は硬貨のごとき形状のプラスチック片なり。これを改札機に通してプラットホームに下るなり。

通勤時間帯と見え、車両内大いに混雑す。数分の後、国父記念館にて下車す。国父記念館とは中華民国の創始者孫文を記念する建物なり。蒋介石と異なり、孫文は左右上げて国民の敬愛を受けをるやうにて、記念館の存廃に関する議論は持ち上がらず。いまだ孫文の辛亥革命を以て元号の始まる日となすなり。ちなみに本年は中華民国96年といふ。

庭園内を散策し、台北市庁舎の横を過ぎり101ビルディングの方向に向かふ。路上の様子を伺ふに、東京ほど混雑甚だしからざれど、二輪車の数頗る多く、しかも乱暴運転なり。信号を無視して突進する者を多くみかけたり。四輪車にも乱暴運転するもの多く、青信号を渡る歩行者の列に警笛を鳴らせつつ突進せんとするものもあり。

101ビルディングは高さ508米にて現下世界最高の建物なり。101階あるところから101ビルと命名せられし由。ただ遠目には鉛筆を立てたるようにて形姿優れたりとはいへず。

展望台(値350元)に上り台北の街を一望す。街は周囲を山に囲まれ、盆地なることを納得す。市内には高層の建物立ち並びしが、さして見苦しくもあらず。むしろ落ち着いた雰囲気に見えたり。

101ビルの前よりタクシーに乗りホテルに戻る。行き先をシェラトンといふに意味通ぜず。地図上に示して始めて納得す。台北にてはシーライトンといふなり。

台北のタクシーはみな一様に黄色に塗装せられてあり。日本の如く屋根に看板を戴くことなし。初乗り運賃は20元なり。また台北にはタクシーとともにバスの数頗る多し。公営バスはあらず、すべて民営バスといふ。会社の名を数ふるに、数へ切れぬほどあり。東京にては特定の地域には特定のバスのみ走りをれど、台北は同じ停留所を多くのバス会社が共同利用しをるやうなり。

午前十一時ホテルに戻るに某女迎へに来りてあり。免税店に案内せられ買物などしたる後午下桃園空港に至る。空港内にて台湾蕎麦を喫し、飛行機に乗り込みしは午後三時。成田へは日本時間午後七時に到着せり。


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    コメント (1)

    横田 文夫:

    今回の旅行での機内の食事は、パンフレットに記載されていた。参加者が全員、内容を理解していなかった。という気楽なたびでした。

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