
アンドリュー・ワイエス Andrew Wyeth といえば、まるで写真のようにリアルなタッチの絵を描き続けた画家だ。それも水彩絵具やテンペラといった、現代アートではマイナーな画材を用いた。その世界は風景にしろ、人物にしろ、どこか郷愁を誘うようなところがある。日本人にとってもなじみの深い画家だ。この年末年始には渋谷の文化村で展示会が開かれていたから、見に行った人も多いことだろう。
そのワイエスが先日死んだ。生まれ育ったペンシルベニアの家で。91歳だった。
ワイエスはアメリカンリアリズムの後継者として、エドワード・ホッパーとよく比較される。どちらもリアルなタッチを駆使して、風景の中に溶け込んだ孤独な人間たちを描いた。またそこに描かれた風景には、失われつつある古きよき時代のアメリカが反響していた。人々はそこにノスタルジックな懐かしさを感じたのである。
だが微妙な相違もある。ホッパーの絵の中の人物は、人に見られていることを意識しているかのように、何かしら人に語りかけるようなところがある。これに対しワイエスの人物は、風景に溶け込んで、自分自身の中に埋没しているようなところがある。
絵が感じさせるこうした雰囲気が、ワイエスを単なるリアリズムの作家に終わらせなかった理由かもしれない。なにしろ世界の美術界の現在の潮流にとって、写真のようなリアルな絵はナンセンスのはずなのに、ワイエスには人をひきつけるものがある。それは理屈では説明できない魅力だ。
ワイエスはモダニズムの異端であることを貫きながら、古臭いといわれる手法を通じて、モダニズムを超えようとしたのかもしれない。
ワイエスの生涯は変化に乏しいが、ワイエスなりに大きな出来事がふたつあった。一つは父親の死であり、ひとつは不倫の愛である。
ワイエスの父親はイラストレーターだった。「宝島」や「モヒカン族の最後」のために書いた挿絵は、彼を人気作家にした。その父親がワイエスの才能に目をつけ、彼を画家として訓練した。ワイエスは学校での正式な美術教育は受けていない。
父親の絵には明るさがあった。だがワイエスはそんな明るさを受け継がなかった。彼は彼なりに自分の表現を求め、その結果明るさとは反対に、静寂の世界を追及するようになった。28歳のとき、父親が交通事故で死んだことは、彼に大きなショックを与えた。それ以後彼は、意識的に父親の画風と格闘することで、自分の個性を確立しようと努めた。
またワイエスは、1970年から1985年までの15年間、ヘルガという女性をひそかに描き続けた。この女性はワイエスの妹の家で、家政婦をしていたのだったが、ワイエスは彼女をモデルにして、240枚もの絵を描いたのだった。ワイエスはそれらを長い間誰にも見せず、ワイエスの妻もその存在を知らないほどだった。
これらの絵が人前にさらされたとき、画家とモデルとの関係が噂となった。妻はこれらの絵が、ワイエスのヘルガに対する愛を描いているのでしょうと発言し、それをタイムやニューズウィークが大きく取り上げた。
ワイエスの絵の中の女性は、人々との交渉を断ち切って、自分自身の中に閉じこもっているような印象を与える。それは、世間から逃避して、ひとりの男と不倫の愛を灯し続けている女性の、孤独を表しているのではないか、また画家自身がそこに罪の意識を塗りこめているのではないか、こんな憶測をよんだ。
世界の美術史上に、ワイエスがどのような位置を占めるか、それは今後にゆだねられた課題のように思える。
関連リンク:水画の巨匠たち
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