そば粉の原料になるそばの実は、もともと「そば麦」といったそうだ。今でも漢字では蕎麦と書くところにその余韻が感ぜられる。
日本語学者の杉本つとむによれば、そばの実は、形が三つに分かれていて、それぞれの形が山の稜線を思わせる。つまり谷を挟んで三つの山がそばだっているように見える。そこでそばだった麦と言う意味で、そば麦と名づけられたのだという。
そばは麦ではなく、タデ科の植物だが、麦と同じように粉にして、それを練って食うことができる。その中で麺状にしたものをそば切りといった。甲州で発案されて、江戸に入ってきたと言われているが、このそば切りを略してそばというようになった。
「そばだつ」の語根である「そば」という言葉は、山の稜線をイメージしたものだ。山の稜線は切りだっているように見える。そこから切り立ったところにある道を「そば道」というようになった。
稜線は山の高いところを走っているから、そこから高さをイメージする「聳ゆ、聳える」といった言葉が生まれた。「そば」が母音交代によって「そび」になったのである。「そびゆ」はまた、人の背丈がすらっと高いさまをも現していたらしい。
「そば」には、山の稜線がごつごつしているイメージから、角ばったという意味もある。源氏物語に「そばそばし」という言い方が出てくるが、これは仕草が角ばっていて近寄りがたいという意味である。これから生じた動詞「そばむ」は、人とまともに向かい合わず、視線をそらすという意味で用いられた。
「そばむ」という言葉の連想から、正面ではなくその脇にあるところを、「そば」というようになった。
このように、蕎麦、そば道、屹立つ、聳える、側、そばむ、などの言葉はすべて共通の語根から生まれている。語源的にみれば、みな親戚同士の言葉だ。こう杉浦つとむはいう。
氏はこの言葉のほかにも、さまざまな言葉にある語根に注目して、そこから言葉の語源を探る作業をしている。なかなか面白いので、読者にも一読を勧めたい。「語源入門」(東京書籍刊)
蕎麦の実が三つに分かれていてと言う感じ解かります。 蕎麦殻は何処かが尖がった感じで子供の頃、そばがら入り枕があり、頭を動かす度にジリジリ音がしたのを思い出します。
語源が山の稜線から来ているとは面白いんですね。 そばそばし、そばむ、そびゆ等の言葉の意味から何となく飛躍してソビイェットを考えてしまいました。
犬で背中の頂点(稜線)がズーッと尾の付け根まで付いてるのがいてRhodesian Ridge Back という短毛の大型犬です。 私の愛猫も時として背中に稜線が現れる事があり、例えばご飯を食べてる時です。 怒って毛を逆立てる時のとは叉違うんです。